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株式会社エミリンク

株式会社エミリンク

株式会社エミリンク

対談

小原院長の”いま一番気になる人・仕事”スペシャル対談
2016.07.13 國近公太×小原忠士

平成2年の開院以来、25年間にわたり地元連島を中心に多くの住民の方から信頼を頂き、皆様の健康に貢献してきた小原整骨院。
その小原院長が“いま一番気になる人・仕事”というテーマで、ゲストの方と対談をして頂きました。
今回は、元VリーグJTサンダーズのキャプテンを務められた後、現在は岡山県体育協会でスポーツ振興に従事されている國近公太さんをゲストにお招きし、プロスポーツの現場でのご経験やバレーに対する思いについて語り合って頂きました。(2016年5月12日(木)エミリンクにて)

「バレーボールの好きなところは、チームプレーであること。一人ではできない、お互いが必死でボールを繋いで、繋いで…子供たちを見ていても必死でボールを追いかけてますよね。それを見るとウルッとします。逆にそれがないと、イラつきますが(笑)」

國近 公太
(公益財団法人岡山県体育協会)

1985年11月1日生まれ。小学5年生の時、TVで見たバレーの試合に感動し、バレーを始める。
その後岡山県立岡山東商業高等学校へ入学。2002年2年時には同校を30数年ぶりに中国大会優勝に導いた。
その活躍から、岡山県国体選抜、全日本ジュニア、全日本ユースに選出。
高校を卒業後、2004年にスポーツ推薦で筑波大学へ入学するも、チームへの違和感から半年で中退。数校からオファーが届き、その中から大阪商業大学を選び2005年に入学。
すぐにエースとして活躍し、同年の関西大学バレーボールリーグ全勝優勝、同年度の黒鷲旗では東レ・アローズに勝利する快挙を揚げた。
筑波大から大商大への移籍という経緯から、全日本学生連盟規定で大商大では3年生までしかバレー部に在籍出来ないため、大学4年時となる2008年シーズンは大分三好ヴァイセアドラーでプレー。同年10月に退団。
2008年8月からJTサンダーズにスカウトされ、2009年4月からJTに加入。
同年、サマーリーグ最優秀選手賞、翌2010年第59回黒鷲旗でベスト6賞を受賞。
2011年、自ら志願しJTの主将に就任。
2014年、引退、現在は地元である岡山県で岡山県体育協会に勤め、スポーツ振興に携わっている。

國近公太

藤原 真由美
(アームレスリングチームzero-腕所属アームレスラー)

1976 年4月生まれ。小五から母のすすめでバレーボールを始める。
さわやか杯第五回大会、最終選考会にて優秀選手賞を頂く。
倉敷商業高校卒業後、明石被服興業(株)に入社、
高校卒業後もグラブチームにてバレーボールを続ける。
現在、三男児(小6、小4、小3)の母。
趣味の裁縫ではハンドメイド作品の販売するなどの腕前を持つ。
日本折紙協会の折紙講師でもある。
3年前に、世界チャンピオン宮本真治氏に出会い、アームレスリングチーム、zero-腕に所属。
オールジャパンアームレスリング選手権大会にて-55 ㎏級2015ライトハンド 準優勝、
2016 レフトハンド準優勝、ライトハンド3 位の実績を持つアームレスラーとしても活躍中。

藤原真由美

小原 忠士
(小原整骨院 院長)

1964 年 倉敷市出身。地元である倉敷市連島で開院以来24年にわたり地域の皆様の健康に貢献してきた小原整骨院の院長。
柔道整復師としての技術力は当然、その穏やかな人柄で多くの患者に慕われ、スタッフからの信頼も厚い。2014 年6 月には株式会社エミリンクとして法人設立。
代表取締役となる。

俣野 浩志
(株式会社パッション)

岡山市出身。一般社団法人ウェブ解析士協会認定 初級ウェブ解析士。経営修士(MBA:香川大学大学院地域マネジメント研究科)。大学でマーケティングを学んだ後11 年間印刷・デザイン業界に勤務。2009 年に岡山県産業振興財団主催のベンチャー・ビジネスプランコンテストにて奨励賞を受賞。2013 年大学院にて「住民主体の体験交流型プログラムが地域社会に与える影響についての考察」というテーマで、NPO のまちづくりを研究した。

僕一人だけ個人でやっていました。
時間帯もずらして…みんなんと同じようなことをしていたらダメだというイメージもあったので、
自分で自分なりの効果的な練習方法を探しながらやっていたんです。

俣 野:
今回は、元VリーグJTサンダーズのキャプテンを務められた後、現在は岡山県体育協会でスポーツ振興に従事されている國近公太さんと、現在もママさんバレーボールのチームで活躍しながらもアームレスリングの国内大会準優勝の経験を持つ藤原真由美さんを交え、実際の福祉の現状や課題について、語り合っていただきたいと思います。まずは國近さんとの出会いを教えてください。
小 原:
國近さんは、地元倉敷出身で現在小原整骨院の受付をしてもらっている池上さんと家族ぐるみのお付き合いをされていて、地元リーグにプレーヤーとして復帰された時に、古傷の肘を痛め、治療に来られたのがキッカケです。

國 近:
はい。久しぶりにプレーを再開したので身体が思うように動かず、肘に負担を掛けてしまいました。池上さんに紹介していただき、助かりまして…その節はお世話になりました。
って、今もあちこちお世話になってますけどね。

小 原:
藤原真由美さんは、アームレスリング全日本大会の直前に手首を痛め来院されてからのお付き合いです。
真由美さんは、アームレスリングをする以前はバレーボールのクラブチームに所属され活躍されており、岡山のバレーボール事情に詳しいため声を掛けさせて頂きました。

藤 原:
そうなんです。その節はお世話になりました。お声掛けいただきありがとうございます。
國近さんとお話しできる機会をいただけて、嬉しいです。よろしくお願いします。

小 原:
まずは國近さんにお聞きします。JTサンダーズのキャプテンを任せられるまでご活躍されてきたわけですが、そもそもバレーボールを始めたきっかけは。

國 近:
小さい時からいろいろな習い事をしていて…ピアノやソフトボール、ドッジボール、少林寺とかを並行してやっていたんですが、小学校5年生の時にバレーボールも始めて…どうしてだかはっきり覚えていませんが、フィーリングが合ったんでしょうか、バレーに絞ったんです。

小 原:
やはり人より運動神経が良かったとか、背が高かったとか体格的に恵まれていた?

國 近:
そうでもないと思います。ただ走るのは早かったです。
でもジャンプ力はなかった…垂直跳びはそんなに飛べないですし(笑)。
それでも小学校・中学校とやり続けて、高校時代にはキャプテンを務めさせていただきました。

小 原:
その頃からキャプテンなのですね。

國 近:
そうなんですが…実は、本当はセッターをやりたくて、セッターをやらせてもらえるということで、大学は筑波に行ったのですが…させてもらえなかったので、大商大に入り直したんです。
大商大では2年間はアタッカーをやって、それからセッターを教えると監督に言われたんですが、監督が移籍され、結局セッターはさせてもらえなかった…。
 その後、大分三好(個人病院のリーグ)、Vプレミアリーグの最下位のチームに入って、5月に開催される黒鷲旗という大会に出たら、JTからオファーがあって、広島へ移籍しました。
大学4年の時ですね。1年間は大学に在学しながらプロをしていました。

小 原:
JTではセッターだんたんですか。

國 近:
それが…アタッカーだったんです。結局最後までアタッカーだった。セッターはしなかった(笑)。

小 原:
ははは…。キャプテンはいつ頃から。

國 近:
入団して3年目の時ですね。3年間キャプテンを務めました。
選手は18~22人くらいいました。在籍中に優勝はできなかったんですが、3大大会(Vプレミアリーグ、天皇杯、黒鷲旗)は、いずれも準優勝でした。どれも惜しい点差だった。

02

小 原:
それ十分凄いですよ!キャプテンになるまでの苦労とか、いろいろあったと思うんですが。

國 近:
はい、僕は、大学くらいまではサーブが凄いと言われてたんです。プロになってからは、ポジションがらあまり攻めていけれなかったんですが…大学時代よりも速度は落ちていたと思います。
関節を痛めたりもしましたし。高校、大学がピークだったかもしれません。
 当時は、大学との掛け持ちだったんですが、監督はアメリカ人で、私についてはピンチサーバーとしてしか見ていないと言われたんです。
それが悔しくて、影で練習して…次のシーズンからレギュラーになったんです。
そうすると、監督がどこで練習していても目にとめてくれるようになって、監督も一緒に練習してくれた。どこにいても監督が現れてきて、土手を走っていても…。
僕は、みんなで集まって練習するのは好きではないんです。なのでいつも一人で練習していたんですけど…。

藤 原:
どんな練習をされてたんですか。

國 近:
トレーニングは筋肉を強めたり、スクワット、インナーマッスルのトレーニングやサーブの練習、壁に打ってレシーブの練習したり、そんな時、監督が来れば速度を測ってくれたりしました。
 他の選手はどんな練習をしていたか知らないんです。僕がやっている時は僕だけ。
他の選手はみんなで集まってやってました。僕一人だけ個人でやっていました。時間帯もずらして、自分のやりたい時間で、好きなメニューでやりたいと思ってましたね。
みんなんと同じようなことをしていたらダメだというイメージもあったので、自分で自分なりの効果的な練習方法を探しながらやっていたんです。指導者はいなかったので、教科書的なものも、アドバイスもなしで、全部自分で考えて。
ただ、監督がきてくれた時は教えたくれました。そんな努力を気に入ってくれたのか、とにかく監督の目に止まったんですね。その監督とは2年半くらい一緒でした。その後には日本人の監督になった。

小 原:
やはり基礎練習を大切にしているんですね。日本人の監督とアメリカ人の監督では、どんな違いはありましたか。

國 近:
実は、日本人の監督の後にモンテネグロ人の監督が来たんですが、その監督は元ユーゴスラビアの代表で、ユーゴ時代に優勝した経験を持っているんです。
 バレーの攻撃スタイルは監督が「こういうバレーをしたい」とベースを決めるんですが、モンテネグロ人の監督の力量は凄くて…。日本人は基礎を大事にすると言われているがそれを超えていました。
その監督から学ぶことが多くて。今、教える立場になってその時の経験がとても活きています。
例えば、自分のスタイルに合わない選手は絶対技術が優れていても使わない。基礎に対して熱の入れ方がハンパない。アンダーパスやらチャンスボールの処理。
そういう基礎が雑な選手は練習中でもコートからすぐ追い出すような監督だったんです。
 日本人の監督も「こういうチームも作りたい」というビジョンを持っているのですが、日本人の監督は選手とも会話するので、話が二転三転してシーズン中にスタイルが変わることも多いんです。
他のチームでも同じです。しかしそのモンテネグロの監督は最初に決めたことに対してブレがない。
その上で、戦術レベルで相手チームに対して対抗策を講じていくんです。
最近のバレーボールは「データバレー」と言われるくらい、データを活用します。例えば、どこのポジションが弱い、ローテーション別に何%ココのポジションにあがっているとか、パターンがわかるので…。それに対しての分析力、データを基にした作戦を立てるのがとても上手でした。
ですから、自分たちの弱い部分を防がないといけない。相手が分析していると徹底的に突かれますから。

小 原:
なるほど。女子バレーの眞鍋監督が使ってたiPadですね。

國 近:
そうです。あれですね。眞鍋監督の姿で一躍有名になりましたね。
あのおかげで常に客観的な視点で状況判断ができるようになったんです。例えば、ピンチの時に決めたアタックは誰の目にも強い印象を与えますよね。
だからその選手が一番アタックの決定率が高そうに思える…。
でも実際は、他の選手の方が決定率が高かったりすることもあります。
人の印象や思い込みってかなり曖昧ですから、それで判断が引っ張られることもあるんです。

小 原:
勢いに乗っているとか…チームのモチベーションとか一体感とか、データだけでは把握できない要素もあるんじゃないですか。メンタルな部分が多いと思うけど。

國 近:
その通りなんです。データバレーと言われて、その効果は確かにすごいんです。
しかし、小原先生のおっしゃられる通り、選手は機械ではないですから、データが示した分析通りにもいかないですし。
またチームに勢いがある時には、過去のデータにはないような力を発揮することって結構あるんですよ。

藤 原:
それがキャプテンの役割ですよね。チームの中でのムードメーカー…メンタル面の支えであったり、求心力とか…。

國 近:
はい、キャプテンの役割は大きいいです。

小 原:
チームをまとめていく苦労とかは…どんな感じでしたか。

國 近:
チームをまとめていく苦労はありましたね。キャプテンになったのは、肘を手術する前か後か忘れたんですが…キャプテンになって、みんなを背中で引っ張っていきたいと思ってたんですが、全然背中で引っ張れなかったんです。それが一番苦労した点ですね。
自信を持ってこれっ!て言えるものがなかった。

 キャプテンになった経緯にも、なんだか自信の無さが表れていて…監督は認めてくれていたんですが…。公には立候補制になっていたんです、なので僕が立候補したことになっているのですが、実際は立候補の受け付け期間に一週間の猶予があって、前キャプテンにちょっとでもその気があったらキャプテンをしろと言われてたんです。
自分自身も、自らを刺激するために、チャレンジしたいとの思いはあったんです。気分のムラなどもあったので、それを変えたいと思っていて…。
でもなかなか踏ん切りがつかなくて、期限一杯、ほんと最後の最後に行ったら…監督に「待っとったぞ」と言われて。監督は待ってくれてたんです。
キャプテンとしての素質があったのか、監督は望んでくれていました。

 実際になってみると、空回りもするし、なかなかまとめるのが難しい。
チームの要のようなポジションで、一番先頭に立ってやってほしいという思いがあったと思う。
僕もそうしたかったし、要として動いていたつもりだったんですが…。
みんなをまとめるのも口数が多くないので、もっと言ってほしいという声も出てきました。
年齢が真ん中だったので、世代間のパイプ役という考え方でいうとバランスはとっていたと思います。でも、もう少し試合や練習の雰囲気に対して言ってくれて欲しいと言われました。

 中学の時から選抜、高校、大学と全部キャプテンをしていたので、どうやったらまとまるかという感覚は持っていました。こうやったほうが良いとか、言葉での説得力あったと思います。しかし上に行くとレベルがあまり変わらないので…

 学生時代の時は、日々の目標設定をせずに練習してた子がいたので、そういう子には目標を立てて、振り返りをして次の日に改善した方が良いなど、よくアドバイスしていましたが、プロになるとそんなことは当たり前ですし、メンタル面でモチベーションが低い人間は、もう練習しなくていいよ、ということです。プロでモチベーションが低い人間はほとんどいない。みんな自己管理のレベルが高い。

03

小 原:
企業向けに研修をして欲しいですね。ビジネスの世界では、スタッフのモチベーションをどう上げていくか…というのは経営者や中間管理職の間では大きな課題なんですよ。
もちろん自己管理できている社員もいるのですが、そうでない社員もいます。自分のモチベーションを自分自信でコントロールできないとやはりプロとは言えませんよね。

國 近:
そうですね。ただモチベーションといっても個人のモチベーションとチームのモチベーションというか雰囲気というものがあると思うんです。チーム内の雰囲気が悪ければ、いくら個人のモチベーションが高くても阻害されてしまいます。
チーム内の雰囲気作りという面はキャプテンの担う役割として大きい要素だと思います。

小 原:
確かにそうですね。ところで國近さんがキャプテンを務めていた時のチームの戦績はどうでしたか。

國 近:
僕が、JTに入った時は5位とか6位とかでした、8チーム中の。在籍中…最後は強くなりました。
引退した時はVプレミアも黒鷲旗も準優勝でしたし。強くなっていった時は、戦術やシステムが変わった時ですね。モンテネグロ人が監督の時です。
ブロックとレシーブの関係に対して凄いシビアで、この位置にブロック飛ぶのだったらここにレシーバーはいらないとか。レシーバーの動きが…モーションが大きくなったりするので、10本中10本取るのは無理なので10本中2、3本取れれば良い。
取ろう取ろうとしなくても良い、それをすると無駄な動きになる…とか。そういう潔い判断があった。あとは基本、基本、基本です(笑)。
基本は徹底的にしごかれましたよ。レシーブ練習も強打練習はなく、ボールコントロールばかり、緩い球を返すことばかりしていたんです。
でも、それで結果がどんどん出てきた。

小 原:
キャプテンとしては結果に結びついてきてやり甲斐があったんではないですか。
そんな時に引退を決意したのはどうしてですか。

國 近:
僕がキャプテンだからというわけでもないですけど、チームの調子が良いととても嬉しいです。
上を目指して仲間と一緒にプレーするのは楽しいですし…。
引退は自分のプレーができなくなったから決意しました。キャプテンになって2年目くらいですかね…ジャンプして打つのが自分のスタイルだったんですが、それができなくなって…シフトチェンジしたら…調子が悪くなって。引退する年の後半くらいはサブで入って、レシーブする選手になっていたんです。それにも限界がきた。球が前に上がった時に自分の思ったように打てなくなったんです。

藤 原:
それはアスリートにとっては辛いですよね。まだまだ出来ると思っていても体がついてこなくなって…。気持ちばかりが焦る。

國 近:
そうなんです。

小 原:
その後は。

トップアスリート事業でいろんなところに行っているので、そういう仕事もいいと思います。一つのところに肩入れするのではなく、いろんなところに関わって、バレーという競技の底上げをするみたいな。体育協会に入って、そういう風に思うようになりました。

國 近:
2年前に引退してから、岡山に帰ってきました。帰ってきてからは、最初はJTの営業を勉強させてもらっていました。ちょうど岡山に異動が決まったので。
自分の中で半年間勉強させてもらったら、違う仕事をしようと思っていました。バレーしか知らないので、他の仕事にも興味があったんです。
なんでも良いからやってみたいと思っていました。
 次に、老人ホームの入居者募集の営業を半年ほどやりましたが…勉強になったんですが自分には合わなかったです。
 そうこうしているうちに、体育協会から声がかかったんです。高校の恩師からオファーがあって。引退する時点ではもうバレーはする気が無かったんですが…お声をかけてもらったし、やはりそういう世界にいたいという思いも強くなってきて、体育協会にお世話になることにしました。

小 原:
体育協会では実際にどんなことをされているのですか。

國 近:
体育協会は、バレーボールだけではなく他のスポーツの協会への登録とかしています。
実際に教えに行くことも多いです。岡山県トップアスリート事業というのがあるんですが、そこから依頼があったら講師として出向いていきます。
それがない時は、個別に練習を見て欲しいというのがあるので、小学、中学、高校のバレー部から。ありがたいことに、最近は土日全部埋まっています。
 自分自身も再度バレーを始めたので、その試合が入ったりとか。4月から復帰したんです。
クラブチームに「岡山六球会」に所属しています。
今は、井原市長杯(岡山県のクラブカップの予選。
これで優勝したら、1位と2位は中国大会に行ける)に向けて猛練習中です。

04

小 原:
やはり好きなんですね、バレーが(笑)。私の周りにはママさんバレーをやっている方が多いんですが、バレー人口ってどうなんでしょう。

國 近:
残念なんですが、岡山県はバレー人口は少ないんです。広島も。関東は排球というアニメの影響で流行ってきています。全国では九州が強いですね。
関東と大阪も強い。主要都市はどんな競技でも強いですね。人口が多いからかもしれませんが。
 岡山も一つの学校に強い選手が集まれば強いのだが、なぜかみんなバラバラになる。
逆に、みんなが集まる学校の県予選だと絶対面白くないんです。
一校が圧倒的に強すぎて。それを考えると県大会は面白いです。

小 原:
今後の夢は。

國 近:
そうですね、一番は自分のチームを持ちたい。自分のクラブチームであっても、学校の部活動であっても。学校に勤務しても、自分でチームを作っても良いんです。
 トップアスリート事業でいろんなところに行っているので、そういう仕事もいいと思います。
一つのところに肩入れするのではなく、いろんなところに関わって、バレーという競技の底上げをするみたいな。体育協会に入って、そういう風に思うようになりました。

藤 原:
素晴らしい!というかうちにも来て欲しい(笑)。

國 近:
ははは。定期的に携わらせてもらったら、チームを強くさせる自信はありますよ。週2回1ヶ月くらい行けば変わります。個人の選手であれば、1日行けば、その子がそのこと(練習)を続けてくれれば、絶対変わります。ママさんバレーの指導も大丈夫ですよ。
 個人で見るなら2時間くらい。週で。その子のタイプを見て、早い子であれば1日でびっくりするようなアタックを打てるようになります。個人指導のほうが自信があるかな。アタックもレシーブも全体的にみれます。

小 原:
最後に、バレーボールの魅力とかをお聞かせください。

國 近:
バレーボールの好きなところは、チームプレーであること。一人ではできない、お互いが必死でボールを繋いで、繋いで…子供たちを見ていても必死でボールを追いかけてますよね。それを見るとウルッとします。逆にそれがないと、イラつきますが(笑)。

藤 原:
それ分かります!一所懸命さとか、諦めない心というか、変に理知的であるのではなく、純粋にボールを追っかけていく…良いですよね!

國 近:
はい!あと、スポーツ全般に言えることですけど、できなかったことができるようになること。止まらなかった相手のアタックをブロックして決まった瞬間とか。今まで上がらなかったボールが上がったり、自分が必死であげたボールを誰かが必死でつないでくれたとか。中学生とか、小学生は特に…早いうちに、こういうボールを返したら、次の人が打ちやすいとかを教えてあげて欲しいです。相手のことを考えたプレーをすることの大切さを。

小 原:
それは大切ですね。日常生活でも活きてきますよね。

國 近:
バレーは人のことを考えながらプレーするので、日々の生活の中でも、こうことをしたら、この人はこう思うだろう、こうことをしたら相手が喜ぶかな、などを考えるようになりました。仲間の大切さも学べました。私はそれが一番大事なところではないかと思っています。
 そういう思いやりというのが、チームワークに結びついていくと思っています。一概には言えませんが、技術が優れた人が多いチームよりも、チームワークが良いチームのほうが強いのではないかと…。特に一回勢いが削がれたり連携が崩れたら、チームワークがないチームはそこから盛りかえせないんですよ。

藤 原:
そうそう。逆にチームワークが良いとピンチも乗り越えられますよね!わぁなんだかまたバレーボールをしたくなりました。アームレスリングもチームワークが必要なんですが、バレーは、また違ったチームワークがあって魅力なんですよね…。

小 原:
チームワークって大切ですね。当たり前に言われすぎてて今更という感じもする言葉ですけど、それだけ言われ続けているには、それだけの理由があるということですね。それにチームワークって、コミュニケーションスキルだけでは築けないと思います。まずはマインドでしょう。思いやりとか、その上で共通の目標なりがあって…。突き詰めていけばかなり深いジャンルですね。ビジネスでも家庭でも全てのことに通用しそうですしね。またその辺りのお話をお聞かせください。

 國近さん真由美さん、今日はお忙しいところ、ありがとうございました。また國近さんにはFMくらしき「気まぐれ!メンズトーク」にもご出演頂きますので、また色々と教えてください。

國 近:
こちらこそ、ありがとうございました。

藤 原:
ほんと今回は同席の機会を頂き、ありがとうございました。

■公益財団法人岡山県体育協会
岡山市北区いずみ町2-1-3
ジップアリーナ岡山 岡山県スポーツセンター内
TEL:086-256-7101
E-mail:kota_kunichika@okayama-taikyo.or.jp
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