Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/emilink/www/wp-includes/post-template.php on line 284

Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/emilink/www/wp-includes/post-template.php on line 284

Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/emilink/www/wp-includes/post-template.php on line 284

Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/emilink/www/wp-includes/post-template.php on line 284
株式会社エミリンク

株式会社エミリンク

株式会社エミリンク

対談

小原院長の”いま一番気になる人・仕事”スペシャル対談
2016.10.18 萬木善之×小原忠士

平成2年の開院以来、25年間にわたり地元連島を中心に多くの住民の方から信頼を頂き、皆様の健康に貢献してきた小原整骨院。その小原院長が“いま一番気になる人・仕事”というテーマで、ゲストの方と対談をして頂きました。今回は、フラワーアーティストとして地元岡山だけではなく全国でも活躍されている萬木善之さんをお迎えし、フラワーアートの世界について語り合って頂きました。(2016年7月29日(金)カフェ モロゾフにて)

今、僕の中では、医療とアートが上手く融合すると新しい何かができると思っているんです。本来はアートはそういうものだと思う。アートで解決できるものがいっぱいあると思うんです。それと、ダジャレとアートの融合!コケのバイク、コケのメットで、「コケても安全」!

萬木 善之
(フローリスト萬 フラワーアートディレクター)

1973年6月28日生まれ。岡山県笠岡市出身。
花屋の長男として誕生。大学卒業後、専門学校に通いフラワーアートを学ぶ。その後スウェーデンなどヨーロッパ各国で腕を磨き、帰国後は出身地の笠岡市の生花店「フローリスト萬」に所属、そこを拠点に活動している。
 日本スケート連盟の依頼でNHK杯国際フィギュアスケート競技大会など日本国内で開かれる多くの国際大会でブーケ作りを担当。また、高校時代の先輩からブーケ作りを頼まれたことがきっかけで、地元産の野菜を使ったブーケが町おこしに役立つかもしれないと考え、食育の一環として笠岡市内の子どもたちを対象に野菜ブーケ作りを教え始める。それらの功績により、2013年に若手経営者を顕彰する「オカヤマアワード」を受賞。同年、『ブーケの達人』による岡山県の中小企業経営革新制度の承認を受ける。2014年 第3回キラリ☆輝くOkayama小売店大賞受賞。また月刊プラザ岡山による「21世紀岡山の100人」にも選出された。近年ではコケにも注目し、自称「苔アーティスト」としても活動。その後笑いを狙おうと、車体に乾燥コケを貼り付けた車を作るなどをしている。ほかにも自称「笑いタイアーティスト」として、コケや花で作ったネクタイなどの作品がある。

萬木 善之

小原 忠士
(小原整骨院 院長)

1964 年 倉敷市出身。地元である倉敷市連島で開院以来24年にわたり地域の皆様の健康に貢献してきた小原整骨院の院長。
柔道整復師としての技術力は当然、その穏やかな人柄で多くの患者に慕われ、スタッフからの信頼も厚い。2014 年6 月には株式会社エミリンクとして法人設立。
代表取締役となる。

俣野 浩志
(株式会社パッション)

岡山市出身。一般社団法人ウェブ解析士協会認定 初級ウェブ解析士。経営修士(MBA:香川大学大学院地域マネジメント研究科)。大学でマーケティングを学んだ後11 年間印刷・デザイン業界に勤務。2009 年に岡山県産業振興財団主催のベンチャー・ビジネスプランコンテストにて奨励賞を受賞。2013 年大学院にて「住民主体の体験交流型プログラムが地域社会に与える影響についての考察」というテーマで、NPO のまちづくりを研究した。

「僕は植物を司る人間なので、植物で何か応援したいと思って考えたのが、ひまわりだったんです。遠くから離れていても、ひまわりを咲かせていますというのが、「いつもあなたを見ています」という花言葉にかけて、思いを伝えたかったんです。」

俣 野:
今回は、フラワーアーティストとして地元岡山だけではなく全国でも活躍されている萬木善之さんをお迎えしています。
奇抜なアイデアで作られた数々の作品やフィギュアスケートのブーケ作りなど、フラワーアートの世界について語り合っていただきたいと思います。
まずは萬木さんとの出会いを教えてください。
小 原:
萬木さんとは、岡山を元気にするプロジェクトの食事会で意気投合しましたよね。
萬木さんの先見の明、発想力にビックリでした。

萬 木:
そうですね。小原先生の、何かを社会に還元したい、元気にしたいという思いが伝わり、私も何かお手伝いができればと思い、お付き合いさせていただいています。
小 原:
まずは、フラワーアーティストとして活躍するに至った経緯をお聞かせください。

萬 木:
大学卒業後にお花の専門学校に行って学んだんですが、大学4年生の時に、NFDというお花の資格(公益社団法人日本フラワーデザイナー協会)をとったんです。
実はお花の専門学校には、NFDの検定3級を取らないと入れないんですが、まぁ無事受かりまして…。
資格を取るのに30万円くらいはかかるんですね。
お花代が割としますから。
資格を取るのに、100万円くらいかかる人もいるくらいです。
この検定の級は、フラワーアートの巧さとは比例しないんです。
純粋にテクニック的なもので、綺麗にではなく、技術的なものに対してその技術力を担保する資格なんです。
ですからセンスではないので、発想力は身につかないんです。早く作れるかどうかというだけを重視している。
建築の一級とかも同じでしょう。
一級建築士だからといって良いデザインができるとは違う。
センスってジャッジする人の主観が入るので、難しいですよね。


img02

小 原:
確かに、そうですよね。その資格を取って専門学校を出られてからは…?

萬 木:
実家の花屋に勤めました。実は花屋の息子なんで…長男ですし(笑)。もともと里親だったんですが。
面倒を見てくれていた祖父は、戦争から帰ってきた時に、食べていくためにお花屋さんを始めたんです。
その後を継いだんです。ですから3代目です。
小 原:
では、小さい時から花屋さんになることは分かっていたという感じ?

萬 木:
いえいえ、小さい頃はプロ野球選手になりたかったんです。
巨人が好きで…巨人の放送しか見れないから巨人が好きになっていた…というのは後になってわかったんですが(笑)。
洗脳ですよね。知らないうちに巨人が好きにって、完全なメディア戦略の影響です。
でも篠塚とか好きだったし、クロマティの真似とかをよくしてましたね。中学生になる頃は少し現実的になってきました。
小学校4年からサッカーをやっていたがサッカー選手になりたいとは思わなかったんです。
まぁ親の後を継ぐなんて先のことなど考えてない、普通の一少年だったと思います。
 僕は、37歳くらいからフラワーアートの世界で覚醒し始めたんですが、それまではサッカーばかりしていたんです。
今でもやっています。社会人サッカーですが…自分でいうのもなんなんですが…24歳くらいから上手くなってきて、それから益々面白くなって…。
高校の時もサッカー部でしたが、どうやって部活を休むか…なんてことばかり考えているような学生だったのに…。
小 原:
スポーツマンなんですね。確かに体格いいですし。
ところで、37歳の時にフラワーアートの世界で覚醒したと言われましたが、具体的にはどんなことで?

萬 木:
当時、リーマンショックが起きて連日テレビニュースで経済のことが取り上げられていたんですね。
ところが僕は、経済のことが全くわからないと気がついて…株とかをやり始めていたんですが、経済の仕組みを学ぶわけでもなく、ただそれしかしていなくて…興味のあるデザインとかサッカーばかり追っかけていたんです。
そんな時、経営革新塾というところに友人が行って面白かったというので、じゃあ僕も行ってみようと思って行ったら、これが割と面白いこと言っているんです。
そこから社会の仕組みや、経済の仕組みを学んでいったんです。
社会や経済の仕組みに関心を持ち始めると、どんどん学習意欲が芽生えて、地元の商工会議所の友達が面白い先生が来ると聞いたら、じゃあ行こうって…。
これもまた面白かったんです。その中で、売れる仕組みを映画の事例で教えていたんです。
なんでこの映画が売れているのかとか…あっという間にセミナーが終わってしまう面白い内容のセミナーだった。その映画の伏線だとか、謎解きとか、人を惹きつける理由がとても勉強になって…。
その作品に使われている曲の中で、ひまわりの花言葉が出てきたんです。「いつもあなたを見ています」という。
実は僕は花言葉を全否定する人間だったんですよ(笑)。花屋なのに。それが、これを見てすごくいいと思ってしまった。
だんだん、自分のマインドも変わっていたのかもしれないけれど、許せる気持ちも出てきたんです。
それで僕も花言葉を使うようになった。
実はこれがキッカケで、ひまわりプロジェクトを立ち上げたんです。
震災の。花言葉も商売に使えることがわかった。
花言葉だけで売り上げが3%上がるんですよ。凄いですよね。
活字はビジュアルなので、お客さんが言葉を見つけて買っていってくれるんです。
確かに花言葉には人の関心を引く言葉が多いんです。
例えば、青いバラは青色の色素がないので「不可能」という花言葉なんです。
これには経緯があって、自然界には存在しないないんです青いバラって…それを、サントリーが遺伝子組み換えで作った。
実際は青に見えないんですけどね、紫っぽい。ところが、サントリーが青いバラを作ったものだから新たに「夢かなう」という花言葉ができた。
実はこれ、バンクーバーオリンピックの時に使ったんです。
フィギュアスケートの選手へ贈るブーケに。
この時の経済効果は2億はあるじゃないかと…テレビなどでの波及効果を含めたら…。
メディアの力は本当にすごい。
花言葉を使うようになってしばらくして、3.11の震災が起きたんです。
僕は植物を司る人間なので、植物で何か応援したいと思って考えたのが、ひまわりだったんです。
遠くから離れていても、ひまわりを咲かせていますというのが、「いつもあなたを見ています」という花言葉にかけて、思いを伝えたかったんです。
科学的にも放射能の除去能力はひまわり良いと研究結果がありしますし。福島大学に米一表分くらいひまわりの種を送ったりもしました。


img03

ビジネスと社会貢献のバランスを上手く取っていきたいですね。それと大切なのはお笑いです!

小 原:
なるほど、そのあたりから覚醒し始めたんですね。

萬 木:
ええ。良い出会いもありました。
大川興業(お笑いのエガちゃんが所属する会社)の総帥の大川豊さんが、セグウエイを乗りに来ていて、名刺交換する機会があったんです。
その時にひまわりプロジェクトの名刺を渡して、話しをさせてもらったんですが…
震災の話が終わると、芸人としてお願いがあると言われて、
生きた植物のアパレルが作れないかと言われて…余裕でできますと即答したんですが、
生き続けるアパレル!。その言葉を聞いた瞬間に覚醒したんです。
パリコレ出れる!!と。
すぐにコケだと思ったんです!
僕の対抗馬はレディガガと言われて(笑)、完璧にその世界に行けると思って…
そこから面白いことをやるようになった。
震災の半年後くらいからですね。
大川さんからは生きた植物のアパレルを国際環境フォーラムに来て出席したいと言われたので、
生きたコケの帽子を作って送ったら。花咲きましたと連絡があった、コケは枯れていたんですけど…(笑)。
それからコケの作品を作るようになって…高田文夫先生が入院している時のお見舞いの花も頼まれたので、
コケの座布団をつくったり。その辺りからパロってきた。
小 原:
そこでパリコレに出れるという発想がすごい!対抗馬のレディガガって生肉を使ったドレスとかで有名ですよね。確かに対抗馬になる(笑)。

萬 木:
植物で人を笑わせると決心したのには、もうひとつの出会いもあるんです。
ネバダ州のブラックロックデザートという砂漠ですが、そこで気球にひまわりの種をピンポン玉に入れて成層圏に飛ばすというプロジェクトがあったんです。
成層圏を漂ったひまわりを咲かせるというプロジェクトなんですが、そこにロマンを感じて、福島の子ども達に見せたいと思って…こっちの地域と向こうの地域の子ども達とつながると思い、ある方と一緒にやったんです。実はその方は血友病の方で、自分は行くことができないということで、彼の息子さんと一緒に行った。
ところが、その息子さん、急にカミングアウトしてきて、僕も目が見えなくなるんです…と、なぜそれなのに、そんなに明るいのか、びっくりした。その彼が言う言葉が、僕は目が見えなくなるまでに子ども達の笑顔の写真を撮り続けたいと言っていた。彼の写真を見せてもらったんですが、ボリビアとかに行ったりして、本当にいい笑顔の写真を撮るんです。
心が震えましたね、彼の想いと行動力に…本当に。その彼と約束したのが「僕は植物で人を笑わせる」ことなんです。
小 原:
そんな想いが…人と人の絆って想いをつなげていくことですよね。

萬 木:
そうだと思います。ただのアホでやってたのではないことも分かってもらえましたか(笑)。
小 原:
ははは…。それはもちろん!他にもいろんな活動をされていますよね。地域活性化とか。


img04

萬 木:
はい、JRとの仕事で、デスティネーションキャンペーンのゲートへのデコレーションとかもやらせてもらいましたが…地域活性化という視点からいうと、笠岡駅と常山駅でフラワーアートをやらせてもらっているのがそれですね。JRのCSRでも紹介されています。
僕のアートを使って常山駅の田んぼを住民と一緒にアート作品にする活動だったんです。
大きな会社にはそういう社会に貢献する活動が必要ですよね。寄付金とか。
事業で儲けた利益を社会に還元する義務がありますよね。
小 原:
それも植物で人を笑顔にする活動ですね。

萬 木:
ええ、大手企業の場合、活動のスケールが大きくなり、社会へのインパクトが期待できるので、僕としてもやりがいがあります。
もちろん、個人の方のブライダルブーケとかも心を込めてやらせてもらっています。
どちらも僕の信念に基づいた活動ですので。
まぁ僕も生活があるんで、企業からの依頼では、ちょっぴり儲けさせてもらいますけど…(笑)。
小 原:
それはもちろんです。人や社会に貢献する良い事業や活動も資金不足で継続出来なくなるのは、よろしくないですよね。
それにより癒されたり、助かったりする方がいる以上、良い活動を継続するのは経営者としての使命だと思いますよ。

萬 木:
そうですね。ビジネスと社会貢献のバランスを上手く取っていきたいですね。それと大切なのはお笑いです!
小 原:
そここだわりますね(笑)。

萬 木:
もちろんです。今は、芸人的な活動がメインですから(笑)。植物で人を笑わせること。
いかなる手段を使っても笑わせること、合法的な限り。というのが今のモットーです!
 1日警察署長をするんです、笠岡の。そこでも、ひまわりをつけて、「おまわりがひまわり」って、する予定なんです。
ネタバラしちゃいましたが…。もう国家権力でも使えるものはなんでも使って笑わせてやる!(笑)。
小 原:
たくましいというか、何というか…本当に花屋さんなのか…ダジャレ芸人ですね、そういえば、名刺にもダジャレが書いてありましたね。

萬 木:
ははは…。ちょっぴり真面目な話、僕はクリエイターというのは「人」「モノ」「コト」で覚醒されると思っているんですね。
僕自身は「笑顔にさせる」というのはあまり好きではないんです。
何だか嘘くさく感じてしまって。
どうせやるなら、とことん笑わせたいんです。
そういった想いで「第一回お笑いコケ展」を福山でやりました。10日間。震災後1年目でした。その時にコケカーができてんです。
人はテーマが出来た瞬間から、邁進する速度が違ってくる、と思います。
僕自身がそうだったんですが、自分が本気で取り組むテーマを見つけた時から、不思議と必要な人との出会いや、色んなチャンスが巡ってくる。例えば、僕の笑いの取り方って、オチを言わなくて相手にそれを悟らせたり、すべり芸みたいなんだけれど、滑ってる感を楽しんでもらいたい、と思っているんですね。
半部お約束ですよね、オチわかっているんですから、でもすべり芸であっても、それが斬新すぎて、テレビ局5社、新聞社5社が取材に来るんようになるんです。プレスしていないのにです。
しかも結構受けていたりするんです。全くマスメディアへの露出なんて思いもしてなかったんですけれど、そういう機会が巡ってくる。
あとはこういうチャンスをいかにうまく活用するか、そこから学んで次のステップにつなげるかが大切だと思うんです。
 僕も今までの活動の中で、色々と学ばせてもらいました。コケのネクタイをして行ってら、コケのネクタイしか覚えてくれないんですよ、名前なんか全く覚えてくれない。
それでもコケのネクタイ売ってくれと10人くらい言われたり。お客さんの生の声を聞ける、それは現場だけなんだと、その重要性を学んだりもしました。
 20点くらい作品を出したとしたら、それに合致するペルソナが必ずいるわけで、そういう方がファンになってくれるんです。ファンを作るのは大事ですよね。
萬木さん=コケの人。萬木さん=フィギアの人、萬木さん=◯◯というのがついてこないとダメなんです。ブランディングですね。
小 原:
それはよくわかります。私も治療院を営んでいますが、理念を明確にした途端に、その理念に沿う活動が一気に加速しましたし、必要な人との出会いがびっくりするほどありました。
本当に人の想いの強さというのは周りに強い影響を与えるのだなと実感しています。

萬 木:
そうですね。僕はクリエイターなので、これは僕のエゴ?っていう疑問が出てくることがあったんです。
その頃は誰のための役に立ったらいいのか?とずっと考えていて…そこでふと気がついたのが、「笑い」と「医療」という言葉だったんです。
今でこそ笑いは病気を予防したり改善したりする、免疫力を強める働きがあると言われていますよね。僕は「笑い医療」というキーワードで調べたんですが、そうするとどーと感情に引っかかるキーワードが出てきたんです。そこに僕の生きる世界が見えてきたんです。
セミナーとかで培ったものとか混ざってきて。さらにクリエーターなので、どう違いを作るかなど…。
即行動しました、パッチアダムス(道化師)にも会いに行ったり…岡山市民病院の看護師と一緒に聖路加に行って日野原先生にあったり、旭東病院の土井委員長に会ったり…エレベーターを花で飾ったり、お笑い療法師にあったり。
病院のエレベーターをお花で飾った時は、新聞も絶賛してくれました。
おそらくキッズアートプロジェクトなど、直接出来ではない間接的な医療っぽいものに関わっていくのかなと思うっています。
お花は波動を出しているというセラピーもあるんですよ。
花単体に波動があると言われると…僕はスピリチュアルは信じていないんですが…電極をつけて調べている先生もいらっしゃいます。
そう考えると、お見舞いに花を持っていく意味というのも、視覚からの効果以外の面もあるのかな?とか…。
どちらかというと否定的でだったんですが、そういうのもあると思い始めたりしています。
フラワーエッセンシャルとか。
波動を出しているのはその人の情報をもらって、その人のためのブーケを作るとか、オンリーワンのビジネスになるかもしれないですよね。
それを学んでみるのもいいなと思います。花の香り(直接)のアロマも出来たらいいなと思っています。
本当、いろんなことが考えられます。
病院のエレベーターのプロジェクトでは、当初、五感を制するエレベーターをやりたいと考えていたんですが…唯一できなかったのが、食感だったんです。視覚、嗅覚、聴覚、触覚はお花で感じることができるんです。
しかし、食感だけはできなかった。
でもそのプロジェクトでストレスチェックなどのデータを取ってもらったんです。
そうすると、男性の方がストレスが下がったんです。
60人くらいのデータなので、サンプル数は少ないのですが、こういう取り組みの効果を可視化できることが、すごいと思います。
エレベータという狭く閉鎖的な空間をお花で飾ることに関して、良い意見としては「非日常的で面白い」というのが上がっていました。
しかし、悪い意見としては「棺桶をイメージする」とかという意見がありました。
年配者の方の意見だったんですが。こういう感覚が数値化できたらすごいと思いますよね。
今、僕の中では、医療とアートが上手く融合すると新しい何かができると思っているんです。本来はアートはそういうものだと思う。
アートで解決できるものがいっぱいあると思うんです。それと、ダジャレとアートの融合!
コケのバイク、コケのメットで、「コケても安全」!実は日本だじゃれ活用協会というところが対談したいと言ってくれてるんです。
面白そうですよね!
小 原:
すごく真面目でいい話をしていたも、絶対そこは外さないね(爆)!
もうよ〜くわかりました。感服しました!

萬 木:
ご理解いただけましたか(笑)。
嬉しいです!
小 原:
まだまだやりたいことが他にもあるんじゃないんですか。
夢とかは?持っているアイデア、全部さらけ出してみては?

萬 木:
え〜それは…。
でも本当にやりたいことだらけで…。歴史の先生とのコラボなら日本最古のブーケとか、ヨーロピアンの流れを引いている花束とか、どの時代から花束があったか、池坊とかは室町時代からありますけど…。魅せる農業、アートと農業を融合させるのはまだやられていない。魅せる、それが常山とかの事例が近いかな。
まだまだ、やってみないとわからないこともありますが、見えることもあるんです。あんまりアイデアをオープンにするとインパクトが薄れそうなので、このくらいで勘弁してください。
あっでも、パリコレは出ますよ!いずれ(笑)。
小 原:
わかりました。このくらいで堪えてあげましょう。
これ以上はラジオの方でじっくりとお伺いしましょう。今日は楽しいお話をありがとうございました。

萬 木:
こちらこそ、ありがとうございました。

フローリスト萬
〒714-0086 笠岡市五番町5-96
TEL:0865-63-5757 FAX:0865-63-1767
E-mail:f-man@gaea.ocn.ne.jp
営業時間:9:30~19:00