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株式会社エミリンク

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対談

小原院長の”いま一番気になる人・仕事”スペシャル対談
2017.7.29 水口智貴×小原忠士

平成2年の開院以来、25年間にわたり地元連島を中心に多くの住民の方から信頼を頂き、皆様の健康に貢献してきた小原整骨院。その小原院長が“いま一番気になる人・仕事”というテーマで、ゲストの方と対談をして頂きました。今回は、吹きガラス作家である水口智貴さんをお迎えし、吹きガラスの魅力や作品づくりへの情熱について語り合って頂きました。(2017年6月8日(水)吹きガラス工房ぐらすたTOMOにて)

「もっと面白い、個性的なものを作りたいんです。ホテルのロビーに飾るような作品(オブジェ)とか。飾るものは壊れないように扱うので、もっと危ないデザインでも良いと思っています。」

水口 智貴
(吹きガラス工房 ぐらすたTOMO 代表)

1981年愛媛県に生まれる。
高校時代に吹きガラスを体験したことがキッカケで吹きガラスに興味を持ち、作家を目指すことを決意し、倉敷芸術科学大学工芸学科ガラスコース入学。大学時代は興味のないことは一切せず、ひたすらガラスに打ち込む学生時代を過ごす。大学を卒業後、師匠赤澤清和氏に師事。2007年に倉敷にて、吹きガラス工房「ぐらすたTOMO」を設立。作家として生計を立てるのは困難な業界において、自ら窯を構えて作家活動を行なっている。

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小原 忠士
(小原整骨院 院長)

1964 年 倉敷市出身。地元である倉敷市連島で開院以来24年にわたり地域の皆様の健康に貢献してきた小原整骨院の院長。
柔道整復師としての技術力は当然、その穏やかな人柄で多くの患者に慕われ、スタッフからの信頼も厚い。2014 年6 月には株式会社エミリンクとして法人設立。
代表取締役となる。

俣野 浩志
(株式会社パッション)

岡山市出身。一般社団法人ウェブ解析士協会認定 初級ウェブ解析士。経営修士(MBA:香川大学大学院地域マネジメント研究科)。大学でマーケティングを学んだ後11 年間印刷・デザイン業界に勤務。2009 年に岡山県産業振興財団主催のベンチャー・ビジネスプランコンテストにて奨励賞を受賞。2013 年大学院にて「住民主体の体験交流型プログラムが地域社会に与える影響についての考察」というテーマで、NPO のまちづくりを研究した。

パッとすぐできるような作品は作らない!というこだわりはあります。実際に作品を作っている時は、ヘロヘロになるくらいまで気を入れて作るんです。底の厚みとか…全てを気にかけて。

俣 野:
今回は、吹きガラス作家である水口智貴さんをお迎えし、吹きガラスの魅力や作品づくりへの情熱について語り合って頂きたいと思います。まずは水口さんとの出会いをお伺いしたいのですが…。
小 原:
水口さんとは、もうかれこれ20年以上の付き合いです。水口さんの奥様のお父さんと、付き合いがありまして、芸大時代から知ってました。治療に来てくれたり、一緒に沖縄に素潜りに行ったこともあったよね。吹きガラス体験もさせてもらったことも。

水口:
そうでしたね。色々お世話になってます。
小 原:
それでは早速なのですが、水口さんが吹きガラスに魅せられたキッカケというのを教えてください。


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水口:
はい、高校の時なのですが、吹きガラスの体験をしたことがあり、それがこの道に進むことになったキッカケです。その後、地元の作家さんの展示会を初めて観て、さらに興味を持ち…。調べたら、高校の近くに作家さんがいらっしゃたので、その方に突撃して行ったんです『ガラス作家になるためにどうしたらいい』って(笑)。その方は「弟子は今の時代にはそぐわない。弟子は取らないよ。」と言われて…。
 そこで、高校の先生に相談して見つけたのが倉敷芸術科学大学です。大学時代はとても面白かったんです。僕は興味がないことや、自分にとって不要だと思うことはしたくなかったんです。ですので、ひたすらガラスに打ち込みました。ところが、一年生にはガラスの授業がなかったんです。ですが、夜ゼミではガラスを吹いてよかったので、それにはできるだけ行きました。人気があるゼミだったので人数が多く、毎日吹けるというわけにはいきませんでしたが…。しかしそれをやっているのとやっていないのとでは、やはり技術の習熟度が全然違うんです。
小 原:
思い込んだら突き進むタイプかな、そういうところは僕も同じなのでよくわかります(笑)。

水口:
はい、基本、僕は猪突猛進です(笑)。大学の授業では、陶芸と染色とガラスの3つを1年生は全部受講します。2年生になるとその中から1つを選択するんですが、僕はガラスを選択しました。こういう仕事をしているととても繊細に思われるんですが、実は細かいことは性格的に合わないので…染色の授業はイライラしてばかりでした。1グラムを図るなどの細い作業が多いんで!ほんと性格的に合わなかった(笑)。
 僕が在学していた当時は、ガラスの生徒は1学年25人。全学年で100名超えるくらいいたんです。でも今は全学年で10人いないくらいですね。


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小 原:
かなり減ってるんですね。やはり就職ということを考えると…芸術系だと進路が狭まるとか?

水口:
それはあると思います。芸術系の大学を卒業しても、作家でメシを食うのは難しいので8割は一般就職です。まぁ2割くらいですねガラス関係に就職するのは…その内の5割はやめてしまいます。でも中には、レンタルの工房を利用して物を作って作家活動をする人もいます。僕のように自前で窯を構えてやっている人はとても少ないんです。
小 原:
そんなんですね。では水口さんのように、作家で生計を立てている方は珍しいんですね。ご苦労もあったんではないですか?

水口:
ありましたね。いやぁ今だから笑っていられますけど…。僕も、作家として作品を作って個展をして生計を立てていますが、今でこそ順調にいっていますが、2、3回もうダメだと思ったことがある。潰れそうになって。とにかく窯の維持に経費がかかるんです。ガス代が本当に高いんですよ。他に電気水道、設備投資、ガラスの原料…アレヤコレヤでかなり経費がかかるんです。吹きガラスの作品が高いにはこういう理由があるんです。
小 原:
ガス代がそんなにも!やはり窯の火は入れっぱなしなんですよね。

水口:
そうです。24時間365日焚きっぱなしです。一度火を落とすと、次に作業ができる1100度まで温度をあげるのに時間がかかりすぎるので、メンテナンス以外の時は火を落としません。とにかく、一番経費がかかるのはガス代です。ホント憎らしいんですが、こいつがないと何にもできません(涙)。
 やり始めて2〜3年目が一番きつかったですね、当時は本当に潰れるかと思いました。まず販売ルートがなかったんです。25歳で独立したのですが、何も考えていなくて、ルートも選定出来ていなかった。物を作ってもそれをお金に変える力がなかったんです。とにかく右も左も分からない状況で全部手探りでした。それこそ、作ったものが全部売れるんでしたら生活できますが、そんなわけはありませんから。

 そんな時、一番助けてもらったのは同級生からの注文なんです。引き出物。これがあったので潰れずに済んだんです。本当に助けられました。大学祭の実行委員をしたガラス学科でない同級生…当時学祭を開催するために一緒に頑張った仲間です。その後、販売ルートもできてきて、ギャラリーから声をかけてもらえるようになったり…自分でも積極的に営業に行きました。少しづつですが、作品を発表する場所が増えてきたことで、作品の注文も増えてきたんです。ホント徐々にですけど。転機とまではいきませんが、ある程度認知をしてもらえるきっかけになったのは、映画『テルマエロマエ』の小道具の牛乳瓶を作らせてもらったことです。100個作ったんですが、これは良い宣伝になりました。テレビの取材も結構来ました。3年くらい前のことです。


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小 原:
あの映画は面白かったですね。古代ギリシャで使われたガラス瓶という設定ですね。

水口:
実は、結構難しかったんですよ。形も整っててはダメで、ガラスの厚さもまちまちで…全て不揃いにしなくてはならないという…それ、素人さんの方が上手く作れるんじゃないか?って(笑)。でも古代ギリシャで…というイメージに近づけるのに、緑がかったガラスを使ったり…試行錯誤しましたね。
小 原:
なるほど。その後は割と順調に。

水口:
いえいえ、まだまだ売り上げも立てていかなくてはいけませんので、営業にもよく行きました。その甲斐あって、横浜の高島屋で個展をやらせてもらえました。これは反響が大きかった。貫禄のある場所でやらせてもらえると箔がつくんですね。まぁでも若かったですね。今思えばもっと良い作品は出せるんですが…。当時はあれで精一杯でした。良いキッカケだったんですが、作家として汚点でもあると感じてます。しかしあれが当時の限界だったんでしょう。
 自分で言うのも変ですが、今は作品のバランス、完成度も上がっています。もちろんですが、日々成長するための努力は怠っていませんし。常日頃から自分の限界からもう一歩踏み込んで作ろうとしています。だからと言うのもあるんですが、まだまだ作品は少ないんです。逆に言うとパッとすぐできるような作品は作らない!というこだわりはあります。実際に作品を作っている時は、ヘロヘロになるくらいまで気を入れて作るんです。底の厚みとか…全てを気にかけて。それでもうまく表現できず焦ってくるとプツンと切れる時があります(笑)。
小 原:
確かに、窯の前で長時間集中して作品を仕上げていくのは相当の体力を使うでしょうね。プツンってなった時はどう気分転換をするんですか?

水口:
僕の気分転換は、長時間喫茶店で過ごすのとドライブなんです。実はドライブが好きなんですが、夫婦で車一台なのでドライブに行けないんです。車は妻に占有されていて…そのためにハーレーが必要なんです(笑)。ハーレーかっこいいですよね。
小 原:
なるほど、それでハーレーのポスターが貼ってあるんですんね。わかりやすい目標ですね(笑)。奥さんへの交渉も大変そうですけど(笑)。

水口:
ははは(笑)。多分売上の目標は大丈夫ですけど、おっしゃる通りそっちの方が大変そうです(苦笑)。
 でもありがたいことに、今ではアシスタントにもきてもらって、制作のスピードもあげています。アシスタントがいるといないとでは、制作のスピードだけでなく作品の出来も全然違うんです。自分一人ではやはり限界があります。手伝ってくれるアシスタントがいたのでここまでこれたと思っています。本当に感謝です。
小 原:
吹きガラスの制作工程は特殊なものなんですか?

水口:
はい、吹きガラスの最大の特徴は、その制作方法にあります。吹いて作る素材は他にはないんですよ。そこが単純に面白いんです。飽きないですね。常にもっとこうしたい、もうちょっとこうしたらこうなるんじゃないか?というのがずっとあるんです。グラス一個でもこうしたらどうだとか、こういうデザインのためにはどうしたら良いか…ほぼ24時間考え続けています。
小 原:
どんな作品を作りたいと思われていますか。

水口:
全体的には実用的なもの…食器を中心に作っていますね。でも最近はグラスやワイングラスなどもあえて使いにくいものを作ろうと思っているんです。斬新なデザインで。使いやすいものは量販店に行けばいっぱいありますから。そうではなく、一品ものを作りたいんです。一品もので勝負できるのを作り続けるのが目標。そのうち「なんじゃこれ!?」って思われるようなバカみたいなオブジェを作りたいんです。例えば、変わった花瓶を作ったんですが、それは、花をいける人に『本当にいいものであれば、どんな使いにくいものでも使う』ということを聞いて…どうやっていけるか作った僕ですら想像できないような変わった花瓶を作ったんです。その作品に花を生けてもらったんですが、それがすごくよくて。作った本人もびっくり!


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小 原:
お〜これは!凄いですね。いやただ筒に裂け目があるだけにしか見えなかったんですが、素材の銀色が引き立ててますね。

水口:
今は、食器を中心に作っていますが、将来的にはオブジェを中心に作って行きたいと思っているんです。僕の場合、ほとんどが販売用ですが、もちろんオブジェも売る気満々です(笑)。基本的に作ったものは全て売る気で作っているんです。価格を上げていくのは業者の方…中間マージンを取るので価格は僕の意思じゃないところで決まることが通常です。ですが自分の作品の値段を上げるなら、説得力がある作品を作らないといけない。そこは作家としての矜持の部分。

 作家として今後もやっていくためには、僕は変化することがとても大切だと思っているんです。ですから異素材を扱う人に積極的に関わることを意識しています。僕にはない視点で物事を見ているので、とても面白い発想が出るんです。和菓子職人や和菓子の木型を作る職人の京屋さんとか…この和菓子の木型業界の職人は全国に10人しかいないような職業の人なんです。岡山に一人だけいらっしゃる。そういう方々と色々と企んでいるんです(笑)。

 具体的に試作をかなり進めているものに「いぐさガラス」があるんです。今、岡山でいぐさを育てて生産しているのは一社だけで、その5代目の方が僕と歳が近くて…。色々と話していくうちに意気投合して…いぐさをガラスの中に入れて作ってみたんです。いぐさの色(緑)が綺麗に出せるようにはもう少しかなぁ…でも綺麗な感じに色が出せそうなんですよ。
 作家業はリスクが高いんです。事業として安定を図るには、僕が動かなくても良いところで収益を上げないといけない。その為に作家業とは別のもの、商品を作らなければいけない。い草ガラスはアシスタントも制作できるシステムにして、ぐらすたTOMO工房作品として始動しています。

小 原:
なるほど、作家としての顔と商売人としての顔と両方が必要なんですね。確かに、作家だと自分でしか収益を上げれないですね。

水口:
商品と作品を分けて考えることは義父さんから教わったんです。作家としては、こだわりを捨てて商品を作ることにはやはり抵抗があったんです。作家として創作活動をされていればそうしても頑なに考えてしまいがちです。そこを割り切ることが必要で…商品は商品、作品は作品と分けて考える。工房を始めた時から、そこへのこだわりは割り切っていたのですが、なかなかそれを実現する体制が見えてこなかったんですが、最近形になってきたんです。アシスタントがいると商品、自分一人でやったら作品になるんです。


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小 原:
今後の夢とか将来やりたいこととかは?

水口:
そうですね。夢、やりたいことは…日本国内で終わりたくない!っていう気持ちがあります。海外にも工房を作りたいですし。ジジィになった時は半分海外に住みたい。イタリアとか。ジメジメした暑い夏は日本を出て、夏は向こうで制作して展示会して、冬は日本で制作して展示会して…の繰り返しができたら最高でしょうね!半年間は誰かに工房を任せる、その時に自分以外が作れる商品があれば回せますし。

 僕も、吹きガラス作家の一人として、作家として成功することが業界に対する役割だと思っています。作家で成功している人がいないと、若い方が業界に入ってこないんです。それには、どこにでもあるような作品や商品だけでは成功できないんです。人まねは人まねで終わります。もっと面白い、個性的なものを作りたいんです。ホテルのロビーに飾るような作品(オブジェ)とか。飾るものは壊れないように扱うので、もっと危ないデザインでも良いと思っています。
 今うちの窯だと、最大で28cm×60cmくらいの大きさの作品はできるんですが、大きなオブジェを作ろうと思うと、窯の間口が大きくないと無理なんです。実は、窯が古くなってきているので、今年中に変える予定なんです。簡単に窯を変えると言っても、結構かかるんで大変なんですけど…耐火煉瓦と耐火コンクリート製なんですが、温度が1000度〜1350度まで耐えるものが必要なので。

 ガラスはめんどくさい素材なんです。透明なので個性を出しにくいですし。個性を出すには何かを加えないといけないのですが、自由すぎて逆に出しにくい。でも、そんな扱いにくい素材から作りだすものだからこそ、奥が深くて…そこが吹きガラスの魅力の一つなんだと思います。


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小 原:
私も陶芸をやっているので、少しですが、その感覚はわかります。ぜひ、また色々と教えてください。今日は素晴らしいお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

水口:
こちらこそ、色々とお話させていただき、ありがとうございました。

ぐらすたTOMO 水口智貴
〒712-8043 岡山県倉敷市広江2-13-33
TEL.086-1945-6046
http://www.glass-minakuchi.com