対談
小原院長の”いま一番気になる人・仕事”スペシャル対談
2017.02.15 米田伊代×小原忠士
平成2年の開院以来、25年間にわたり地元連島を中心に多くの住民の方から信頼を頂き、皆様の健康に貢献してきた小原整骨院。その小原院長が“いま一番気になる人・仕事”というテーマで、ゲストの方と対談をして頂きました。今回は、アナウンサー・カメラマン・ディレクター・音声と映像関係の仕事の全てをこなすフリーランスのアナウンサーである米田依代さんに、映像制作への想い、現場の楽しさについて語り合って頂きました。(2016年12月27日(火)Morozoffにて)
「例えば、30代は落ち着いてとか…そんな固定観念を壊したいって思うんです。人生、何歳になっても楽しまなくては…それなのに、固定観念に縛られているのはもったいない。」
- 米田 依代
- (フリーランスのアナウンサー、カメラマン、音声)
1983年4月22日生まれ。徳島県出身。
高校在学中にFMびさんでの番組アシスタントの経験に始まり、関西外国語大学進学後もFM枚方で大学生ボランティアパーソナリティーを経験。ダブルスクールで代々木アニメーション学院の日曜声優学科にも在学するなど、学生の頃から放送業界に関わる。卒業後は四国放送の番組リポーターとして活躍の後、2008年に矢掛放送のアナウンサー、カメラマン、編集、ディレクターを経験。映像制作の全てを学び、2013年フリーランスに転向。現在、広島・岡山を中心にニュースやラジオMCなどアナウンス業に加え、企画、撮影、編集など映像制作全般の業務で活躍中。2002年 代々木アニメーション学院「未来を育てるオーディション」最優秀賞を受賞、2004年 関西外国語大学の準ミス、2006年 大阪今宮戎神社 第54代福娘代表、2013年 香川県直島町観光親善大使に任命される。
- 小原 忠士
- (小原整骨院 院長)
1964 年 倉敷市出身。地元である倉敷市連島で開院以来24年にわたり地域の皆様の健康に貢献してきた小原整骨院の院長。
柔道整復師としての技術力は当然、その穏やかな人柄で多くの患者に慕われ、スタッフからの信頼も厚い。2014 年6 月には株式会社エミリンクとして法人設立。
代表取締役となる。
- 俣野 浩志
- (株式会社パッション)
岡山市出身。一般社団法人ウェブ解析士協会認定 初級ウェブ解析士。経営修士(MBA:香川大学大学院地域マネジメント研究科)。大学でマーケティングを学んだ後11 年間印刷・デザイン業界に勤務。2009 年に岡山県産業振興財団主催のベンチャー・ビジネスプランコンテストにて奨励賞を受賞。2013 年大学院にて「住民主体の体験交流型プログラムが地域社会に与える影響についての考察」というテーマで、NPO のまちづくりを研究した。
全部できるのはそれも一つの武器だと、総合力だと思います。でも実は、いろんなことができるのが単純に楽しいだけだったりもします(笑)。
- 俣 野:
-
今回は、アナウンサー・カメラマン・ディレクター・音声と映像関係の仕事の全てをこなすフリーランスのアナウンサーである米田依代さんに、映像制作への想い、現場の楽しさについて語り合って頂きたいと思います。
まずは米田さんとの出会いをお伺いしたいと思います。
- 小 原:
-
米田依代さんとの出会いですが、依代さんは小原整骨院へお体のメンテナンスに来られてました。
メンテナンスの最中の会話の中で、「この人、只者ではない!」と。色々お話をお聞きしているうちに、是非「気まぐれ!メンズトーク」のゲストとして呼びたいということで、お誘いさせていただきました。
- 米 田:
-
私も小原整骨院には、お世話になっています。体を診てもらっている中のちょっとした会話から、こんな繋がりができるなんて…。
私のやってることに共感してくれて嬉しいです。今日は是非よろしくお願いします。
- 小 原:
- こちらこそ!では早速なんだけど。フリーランスのアナウンサーとして活躍されていますが、アナウンサーという職業に就いた経緯をお聞かせください。
- 米 田:
-
アナウンサーには小さい頃からなりたかったんです。声優とかも憧れていました。小学校5、6年生の時に放送委員になって校内放送をしていたんです。
朝の挨拶などを放送するのですが、放送後の友達の反応を見るのが楽しくて…当時はアナウンサーという職業自体を知らなかったんです。
後からアナウンサーという職業だと知って…それ以来からの想いです(笑)。
中学の時には一時声優にも憧れたんですが、今は声を使えればなんでも良いかなと思うようになりました。
- 小 原:
-
じゃあ夢が叶ったんだね。そういえば、学校に放送室ってあったなぁ。
ほとんど入ったことがないけど…。アナウンスの勉強とかは?
- 米 田:
-
大学は関西外国語大学に進学したんですが、在学中に代々木アニメーション学院のオーディションを受けたら合格して特待生をもらって…。
大学と代々木アニメーション学院とのダブルスクールで…平日は大学で日曜は声優の専門学校へという生活をしました。
そこで発声とか声の仕事の基礎を学びました。
大学卒業後にプロダクションの道もあったんですが、もっと広い世界を見たいと思って就職しました。
声優よりはアナウンサーとして、自分が楽しいと感じたことや、悲しいと感じたことなどを誰かに伝えたいと思ったんです。
自分で情報を集めて伝えるというのは声優にはないので。声優は一旦社会人になっても戻れるとも思いましたし。
それに外大を出ているので、英語の教員免許も持ってまして、そういったスキルを合わせれば、まだまだいろんな選択肢があるじゃないかと…。
- 小 原:
-
なるほど、依代さんにとってのアナウンサーという職業の魅力って、そういうところにあるんだね。
小さい頃からの夢を叶えて、アナウンサーとして働いていて、どうですか。思っていたような楽しい仕事だった?
- 米 田:
-
はい!今は一番楽しいんです。目標は生涯現役です。いろんなことに興味を持って、この業界でやっていきたいって思っています。
いろんな情報を伝えたいんです。なので、今はアナウンサーとしてだけではなく、写真、映像、MCもやっていますし、矢掛放送でお世話になっていた時に、企画、撮影、ディレクション、音声とか、声をあてたり映像制作に関わること…テレビで必要なことはあらかた経験させてもらったんです。やってないのはスイッチングくらいかな。
とにかく貪欲に技術を習得しようと、休みの日にもフリーで活躍している方に教えて頂いていて…それぞれの分野で師匠がいるんです。
カメラにはカメラの、しゃべりにはしゃべりの師匠がいます。カメラもポジションにより役割があるのでそういうのを学んだりしました。
裏方スタッフは丸8年やっています。しゃべりに関しては高校からですから、結構年季が入っています(笑)。
カメラを経験すると、食レポなどのカメラワークがわかるので、どういう位置で、しゃべればいいか、どういう風に食材を撮るのかというのがわかるので、カメラを知ることはレポーターとしてのスキルにも影響するんです。
- 小 原:
- そういった経験を経て独立して?
- 米 田:
-
6年間、矢掛放送でお世話になりました。
最初に立てた目標が全部できるようになることだったんですが、なんとか目標は達成できて…そのおかげで、今は本当に助かってます。
実は、アナウンサー以外もやっているのは、フリーになるとアナウンサーの仕事だけではやっていくのは難しいのではと思ったからなんです。
地方でアナウンス業だけで食べていくのは難しいんです。プロダクションに入っても、厳しいからバイトしている人が多いんです。
でもやりたいからみんな続けているんです。ほんと、この業界は仕事が好きな人が多いんで…。
私も、師匠の作品を編集したり、師匠に編集してもらったり、仕事を回してもらったりしています。
ですから、フリーランス同士でタッグを組むことが多いです。
- 小 原:
-
依代さんが、やりがいとか、楽しさとか、これだ!
って感じるのは、やはりアナウンサー?
- 米 田:
-
う〜ん。どれも今楽しいです!反対に言うと、どれも勉強中なので興味が尽きないんです。
まだまだ向上する余地があるって思っていますし。
会社を辞めてアナウンサーという声を使う仕事をやらせていただいていますが、「声」一つとってみても、ニュースあれば、リポートもあるし、司会もある。
アナウンスという職業は名前としては一つですが、畑がいっぱいあるんです。政治経済や、スポーツや、地域情報など…それをフリーになって知ったんです。
4年間いろんなジャンルにチャレンジしてきて、やっと、これはあまり好きではないとか…というのがわかってきたんです。
嫌いなことや好きなことがわかってきたのが今年になって。
これからじゃあ何を武器に、どのジャンルに進もうかということなんですが、今はそこを模索しているところです。
アナウンスが一番経歴も長いし、やりたいことなんですが、客観的に見ると…
先輩方が言うには、私はディレクターの方が向いているらしいんですね。
でも映像もセンスがあると言われて…嬉しいんですけど。自分ではまだまだですし、
それにそう言われると、実際、どれに絞り込もうかと考えると悩んじゃいます(苦笑)。
- 小 原:
-
たぶん、それは依代さんの才能と、努力の成果だと思いますよ。
でも一番はこの仕事が心から好きなんだと思う。
逆に、それだけできると、他のアナウンサーにはない強みにもなるでしょうしね。
- 米 田:
-
はい。全部できるのはそれも一つの武器だと、総合力だと思います。
でも実は、いろんなことができるのが単純に楽しいだけだったりもします(笑)。
改めて「この仕事が好きなんだと」言われてみると…当たり前になって意識すらしなくなっていましたが…本当に、私、この仕事が好きなんでしょうね。
でも、自分のこだわりというか使命というか、そういうのもあるんですよ。
人って…社会って、こんな楽しいことがあるんだよ!とか、こんな悲しいことがあったのよ!というのを誰かに伝えて、そこで気づいてもらいたい!というのが自分の中の一番の芯なんです。
それは、自分が書いた本でも、自分が撮った映像でも、自分の声でも、手段はなんでもいいんです。
きちんと正確に伝えたいんです。伝えた内容をどう感じるかは、もちろん、人それぞれです。だから空想では書かないんです。
ドキュメンタリーでいきたい。ドキュメンタリーが好きなんです。今生きてる世界は、いろんなことはあるが、それでも、こんなに楽しいんだ!というのを伝えたい。
わからないことはいっぱいあります。わからないこともいっぱい聞いて、もっともっと世の中のこと、人々のことを知っていきたいんです。
- 小 原:
- なるほど。例えば、こんな方々に伝えたいっていうのはある?
- 米 田:
-
対象は絞ったことはないのですが、個人的には、おじいちゃん、おばあちゃんと、自分と同じ世代に見て欲しいと思っています。
おじいちゃんや、おばあちゃんは人生の大先輩ですが、若い世代の自分達が知っていることの中にも楽しいこと、面白いことがいっぱいあるんです。
なので、おじいちゃんやおばあちゃんが今まで色々経験してきた以外にも、まだこんな楽しいことがあるよ!って伝えたい。
自分達の世代は「切れる世代」と言われてきたんです。痛ましい事件を起こした「酒鬼薔薇聖斗」と同じ世代。2つ下はゆとり世代。
私たちは、そういったレッテルの中で、ひとくくりにされてしまっているんです。
もっと自分たちの世代の良いところを発信していきたいんです。まだまだ、社会から与えられたレッテルに対しての反応しかしていない…だからと言って、私が一人頑張っても、それが動くとことろまではいかないので、動かすためのきっかけになれば!と思っているんです。
フリーランスになっていろんな人にあって感じたのは、38歳以上はすごく貪欲で、打たれ強いなぁって。
自分たちの世代は、言われてカチンときたら言い返す世代。20代は言われたら、いいやって突き放す、諦める。良い意味でも悪い意味でも次があると考える世代。
固守しないというか、勿体無いと思うんです。
- 小 原:
-
依代さんの世代から見ると、38歳以上の世代は貪欲に映るんだね。
確かに、そういう面もあるかもしれない。まだ物質的な豊かさを幸せの象徴のように感じていた時代だからかもしれないね。
昔から、最近の若いものは…とよく言いますが、お互いが違いを理解しようとする努力をせずに、批判ばかりしているように感じますよね。
言い返すくらいがいいのかもしれないね。話してみなければ溝も埋まらないし。
でも20代のすぐ諦めるという傾向も社会環境が育てた価値観だろうし、そういう価値観が育まれる社会にしてしまったのは私たち大人なんだろうな。
ちょっと社会に対する責任感を感じるね。
- 米 田:
-
いえいえ、その時代の社会環境もありますが、地域性も大きいと思うんです。
例えば、岡山はエンタメでも盛り上がりに欠けるという県民性があるように感じます。
広島や大阪はインタビューには普通に答えてくれるんですが、岡山はこんな番組でこんなエリアで放送されるが…と説明しないと、すっと素通りされてしまうことが多いんです。
岡山が盛り上げる要因はいっぱいあると思うんですが…。
仕事においても、みんなそれぞれの限界や進む道が同じ業界でも微妙に違うのに、ちょっと横(他人)を気にしていると感じるんです。
自分の思ったことを通そうとしないというか、新しいことにチャレンジしようとしない。現状維持派が多いと思います。
次のステップを目指すのではなく、去年無難に終わったので、今年もこれでいいんじゃない…という形で終わらそうとする。
イベントの司会もそういう感じで決まることが多いので、だいたい毎年同じ方がされています。なので年齢層が高いんです。
よっぽど致命的なミスをしない限り降ろされない。なので若手の活躍の場が狭まっているんです。
なので、フリーランスの現場は厳しいんです。
もっと若手が育つ環境があればなと思います。
- 小 原:
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新しいことにチャレンジすることに抵抗感を持つ人はいっぱいいますね。
僕の治療院も常に新しいこと、新しい治療法や機械を導入したり、新しい制度を入れたり…とにかく、時間がかかりますよ。反対するのは、不安からかもしれませんし、そういう県民性や世代の違いによる価値観の違いとか、色々要因はあると思いますが…どちらの選択が正しいとかではなくて、変化し続けることが大切ではないかと、僕は考えているんですよ。
現状維持は衰退だと…。
でも、そうに感じる依代さんは、物事を人とは違う視点から眺めることができるんでしょうね。
県外出身というのもあるのかもしれませんね。
- 米 田:
-
あぁ、それは感じます。県外人なので県内人に引っかからないものに引っかかることはあります。
なのでテーマを決めないんです。そういう視点を大切にしたいから。
ドキュメンタリーが好きなのも、そこが関係しているかもしれませんね。
ドキュメンタリーは作りたいと思っています。テーマはまだ決めていないのですが…単純にいろんな人に会う中で、こだわっている人や、惹かれる人を撮りたいんです。
自分は性格がいやらしいので、そういう人の裏を出したい、「素」の部分。人って、輝くには影がないと輝けないので、その影が、どんなことによりできたのかを会話の中で探って、引き出したい。その人の真髄を出すのがドキュメンタリーの楽しみだと思うんです。
そういう惹かれる人を追っかけたい。輝いていても中がない人もいるので。本人が気がついていない原動力とか…。
誰かのためになっていることに全く気がついてないけど、一所懸命されてて輝いている人など。みんな持っているけど気がついていないことが多いんです。
見極めるのは感覚。キラキラしているんです、そういう凄い原動力を持っている人の目は。年齢も関係はないですし、純粋で子供っぽいとか。楽しんでやっている方がほとんどです。
人間は歳を重ねてきたら、例えば、30代は落ち着いてとか…そんな固定観念を壊したいって思うんです。
人生、何歳になっても楽しまなくては…それなのに、固定観念に縛られているのはもったいない。
- 小 原:
- 今まで撮ってきたドキュメンタリーとか、撮りたい題材ってあるの?
- 米 田:
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準絶滅危惧種であるジャコウアゲハの生態を100日間追っかけたドキュメンタリーを撮ったことがあるんです。
蝶がいることを教えているおじいちゃんや、蝶のために草を刈らないでと教えている住民や子供達などで構成した一時間番組なんです。
400時間収録したものを1時間に編集しました。
撮影では幼虫をグロテスクに見せないようになど、結構苦労したんですが、納得のいくものができたんです。フリーになる前に作った自分の中の卒業制作ですね。
他にも、干柿農家の人を追っかけたドキュメンタリーを作ったりしました。実は、ドキュメンタリーでは、ギャラクシー賞の4次まで行ったことがあるんです。
当時、天海ゆうきのドラマの「ボス」と同じくらいまで行ったんですよ。7次が最優秀賞。あとちょっとだった。
初めて作ったものなので、その時は、ギャラクシー賞がどういうものかなんて何にもわからなかったんですけど(笑)。
尾道市にある因島の法楽踊りが県の無形文化財に指定されているんですが、踊り手がいなくて、帰省してきた若い人たちしか踊れないとかという現状があるんですそういうものをきちんと残していかなくてはと思うんです。
井原の子守唄の原型の歌が歌えるのは、このおばあちゃんしかいない、という方を記録として撮ったこともあるんですが、ドキュメンタリーには記録という役割もあるので…。
個人的には、ドキュメンタリーはずっとやっていきたいです、仕事ではなくて。
自分が作るドキュメンタリーは答えを出さないものを作りたいんです。
カメラマンをやっている以上いかに綺麗に撮るかというのはあるんですが、面白いかどうかを判断基準にしています。
倉敷の美観地区を紹介するにしてもドローンで綺麗に撮るよりも組み立て方で面白く撮る方がヒットすると思いますし。
結構わがままなので…個人的に撮りたいんです(笑)。
- 小 原:
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それは、わがままではなくて依代さんの仕事に対するこだわりでしょう。
素晴らしいですね。
社会貢献的にも意義がある活動になると思いますし、何より、僕も依代さんが作ったドキュメンタリーを観たいですし…そういうことであれば、ご紹介したい方がいっぱいいますよ。
それこそ、絶滅危惧種を研究されている方とか…。
- 米 田:
- そうなんですか!ぜひ、ご紹介ください。
- 小 原:
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ええ、是非!一度セッティングしましょう。今日はお忙しいところ、ありがとうございました。
番組では、もっとプライベートなことにも踏み込もうと思いますので、覚悟しといてくださいね(笑)。
- 米 田:
-
ええっ〜、お手柔らかにお願いします(笑)。
こちらこそ、色々とお話させていただき、ありがとうございました。
米田依代
PC mail:s024114@gmail.com