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株式会社エミリンク

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対談

小原院長の”いま一番気になる人・仕事”スペシャル対談
2017.6.22 三島和久×小原忠士

平成2年の開院以来、25年間にわたり地元連島を中心に多くの住民の方から信頼を頂き、皆様の健康に貢献してきた小原整骨院。その小原院長が“いま一番気になる人・仕事”というテーマで、ゲストの方と対談をして頂きました。今回は、倉敷科学センターでプラネタリウムの番組や、天文にまつわる様々な企画展を担当する天文学の専門学芸員である三島和久さんをお迎えし、宇宙に対する熱い想いついて語り合って頂きました。(2017年4月12日(水)倉敷科学センターにて)

「よく天文学の先生という言われ方もされるのですが、プラネタリウムの番組作るのでテレビ局のディレクターのような仕事だと捉えています。ライター的なこともするし、機械の修理などでは電気技師的な仕事もあります。」

三島 和久
(倉敷科学センター 主任 学芸員 天文学)

1970年6月23日生まれ。神奈川県平塚市出身。
5歳の時に母に買ってもらった宇宙の図鑑の虜になり天文学へ引き込まれていく。小学2年の時に初めて観たプラネタリウムに衝撃を受け『ここで観れる星座を全部覚えたい』と思い、博物館通いが始まる。中学生の時、学芸委員から「仕事を手伝って見る?」と声をかけられたことがきっかけとなり、プラネタリウムの番組づくりなどを手伝うようになる。以来、アマチュアとして天文学に関わっていたが、大学卒業時にプラネタリウムメーカーの関係者から、倉敷でプラネタリウムの職員の募集があるとの情報を受け、倉敷科学センターに就職。現在は、天文学の学芸員として、プラネタリウムの番組や、天文にまつわる様々な企画展を担当し、子どもたちだけでなく大人にも、天文学の楽しさを伝えている。

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小原 忠士
(小原整骨院 院長)

1964 年 倉敷市出身。地元である倉敷市連島で開院以来24年にわたり地域の皆様の健康に貢献してきた小原整骨院の院長。
柔道整復師としての技術力は当然、その穏やかな人柄で多くの患者に慕われ、スタッフからの信頼も厚い。2014 年6 月には株式会社エミリンクとして法人設立。
代表取締役となる。

俣野 浩志
(株式会社パッション)

岡山市出身。一般社団法人ウェブ解析士協会認定 初級ウェブ解析士。経営修士(MBA:香川大学大学院地域マネジメント研究科)。大学でマーケティングを学んだ後11 年間印刷・デザイン業界に勤務。2009 年に岡山県産業振興財団主催のベンチャー・ビジネスプランコンテストにて奨励賞を受賞。2013 年大学院にて「住民主体の体験交流型プログラムが地域社会に与える影響についての考察」というテーマで、NPO のまちづくりを研究した。

科学とか天文学を地域に根ざした文化にしたいと思っています。天文学者を一人でも増やすことをしたいとは考えていないのです。音楽や芸術、スポーツは、多くの方は将来いい会社に入るためにやっているのはありませんよね…時々、プラネタリウムに行ったり、星の観察したり、流れ星を見に出かけてみようか、という感じで生活の中に根ざして…。

俣 野:
今回は、倉敷科学センターでプラネタリウムの番組や、天文にまつわる様々な企画展を担当する天文学の専門学芸員である三島和久さんをお迎えし、宇宙に対する熱い想いついて語り合って頂きたいと思います。まずは三島さんとの出会いをお伺いしたいのですが…。
小 原:
三島さんとは、実は今日初めてお会いします。中学時代の恩師がライフパークに勤務されていて、私がFMくらしきでパーソナリティーをしてるのをご存知だったので、「男前で声のとても通る、凄い天文学の学芸員がいらっしゃるから問い合わせてみたら?」と紹介していただきました。

三島:
小原さんからお電話いただき、本日を迎えました。対談ということで、楽しみにしています。
小 原:
それでは早速なのですが、三島さんがプラネタリウムに出会ったキッカケというのを教えてください。

三島:
はい、5歳くらいの時に母親が本を読めということで学研の宇宙の図鑑を買ってきたんです。当時の僕はこれに食いついたようで、隅から隅まで読んだ記憶があります。小学校に行く前から赤外線がどうの…などを知っていたくらいですから。
 小学2年の時に団地で遠足に行くイベントがあり、地元のプラネタリウムを観に行ったんです。初めて観るプラネタリウムに圧倒されて、ここで観れる星座を全部覚えたい!と言って…母親もそれは悪いことではにないということで、プラネタリウムに通う電車賃を出してくれた。この時から博物館通いが始まったんです。
小 原:
最初は、お母さんが本をプレゼントしてくれたことが宇宙へ関心を持つキッカケだったんですね。

三島:
そうですね。事前に知識があったので、初めてプラネタリウムを観たときにも、それがどんなものかは知っていました。でも実際に観ると好奇心が抑えられないくらいに圧倒されました。
小 原:
子どもゆえの純粋さ…未知なものを知る喜び、好奇心が突き動かしたんですね。なんだかそういうことは僕にもあったんでしょうねぇ〜忘れてしまいましたが(笑)。

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三島:
ははは…。誰しも、そういうのはありますよね。
その後もプラネタリウムに通っていたんですが、中学生の時、学芸員から目をつけられて、「仕事を手伝ってみる?」と言われたんです。ちなみに学芸員は国家資格なんですよ。もちろんん天文学の学芸員の方からです。それでプラネタリウムの番組づくりなどを手伝うようになった。企画展や資料作りの手伝い、観望会のボランティアなど…。好きでやっていたことということもあり、勉強をしているという意識も全くなく学校とは違うところで博物館の仕事の基礎を学ぶことができたんです…中学生ですでに。

 結局、中学の1年から大学生になっても続けていました。その後大学を出て、漠然と天文学の仕事で飯が食えたらいいなぁと思ったのですが…普通は天文学者になるしか、このジャンルでは食べていくことはできないような…そんな分野です。僕もそこまでやるつもりはなかったので…。あとは博物館やプラネタリウムの職員の仕事もあるのですが、本当に狭き門で、欠員が出ないと募集は行われないんです。なので、大学生くらいまでは天文学で食べて行くことは目標に定めていなくて、会社勤めで地に足をついた生活をするんだろうなぁ〜と考えていました。ですから、普通に就活もしたんです。

 ところが、内定一歩手前まで来ていた時に、プラネタリウムのメーカー関係者が「倉敷で募集があるから」と情報を持ってきてくれたんです。「その気があるなら受けたら?」って…。ということで受けたら受かって、それで倉敷に来ることになったんです。
 8人応募があった中で3人採用されました。僕の場合、ストイックにこの仕事に就きたいと頑張っていたわけではなくて…まぁ難しだろうなぁ〜と思っていたので…おそらく長年博物館でアルバイトをしていたりなどの経験があったことで、声がかかったんだと思います。降ってきたかのような話ですしね、運が良かった

小 原:
確かに、運が良いというのもあるのでしょうけど、運を引き込んできたというようにも感じられますよ!そこは一つことを突き詰める…好きなことに真摯に向き合ったきた結果だと思います。

三島:
ありがとうございます。仰られる通りで…こういう仕事をしていると、中学高校のお子さんから、どうしたらこの仕事に就けれるのか?という質問を受けることも多いのですが…僕の場合、競争を勝ち抜いたわけではないので、うまいアドバイスはできないのです。ただ、準備をしっかりとやってきていたんだなと…今振り返ると、そう思います。仕事の内容も知っていましたし、人脈もありましたし、なのでチャンスが降ってきた時に、しっかりとつかむことができたんだと。もしそういう準備ができていなかったら、間に合わなかったでしょう。
小 原:
なるほど。倉敷に来てどのくらい経ちますか?

三島:
ありがとうございます。仰られる通りで…こういう仕事をしていると、中学高校のお子さんから、どうしたらこの仕事に就けれるのか?という質問を受けることも多いのですが…僕の場合、競争を勝ち抜いたわけではないので、うまいアドバイスはできないのです。ただ、準備をしっかりとやってきていたんだなと…今振り返ると、そう思います。仕事の内容も知っていましたし、人脈もありましたし、なのでチャンスが降ってきた時に、しっかりとつかむことができたんだと。もしそういう準備ができていなかったら、間に合わなかったでしょう。
小 原:
なるほど。「そうじゃ小学校ライスカレー」シリーズなどの商品開発においても同じように…。

三島:
倉敷に来たのは1993年、22歳の時ですから今年で24年になりますね。倉敷には一人暮らしの時から住んで、結婚して総社に移り住んで、今は児島の下津井に家を建てて住んでいます。僕は神奈川から来ましたが、岡山はいいところですね。岡山の野菜や果物は本当に美味しいですよね。大都会のスーパーで売っているものがいかに中途半端かが、ここに来てよく分かりました。よく総社のサンロードに野菜を買いに行っているんですよ。住めば都と言いますか、ここが本当に気にっています。
小 原:
野菜ですか、地元民には当たり前すぎて、それが素晴らしいことなのかどうかが…多分、都会育ちの人からすれば、贅沢なことかもしれませんね。ところで、天体観測などもされていると思いますが…。

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三島:
ええ、神奈川にいた時だと2、3時間車で走った長野や山梨で観測していました。あちらではみなさん、そいう人が多いんです。今、僕は備前市で観測しています。美星は最近は悪くなってきて…福山や新倉敷の街が大きくなって光害が…。まだ備前の方が明かりの影響を受けないです。
 僕は学者ではなく、天文学の普及活動に携わっている人間なので、いろんな天文現象を追いかけています。日食、月食、流星群、彗星など。自分で観測したり、写真を撮ったりしながら、一般の人たちに紹介していく。個人的には人工衛星の観測をずっとしているんです。他の人はあまりやっていない…かなりマニアックですかね(笑)。最近は日本も宇宙開発が盛んなので話題が豊富で…移動計算とかをしながら、国際宇宙ステーションがいつ見えるか、どんな状態で見えるか、そういう情報、観測情報を公開しています。
小 原:
面白そうですね。人工衛星の観測ですか!初めて聞きました。普段の科学センターでは具体的にどんな仕事をされているのですか。

三島:
普段は、博物館の専門職としていろんな企画をしています。プラネタリウムの番組づくりとかがメインですね。一年間に3回くらい内容を変えています。星空の生解説(前半25分から30分くらい)を含め、星や宇宙に関するテーマを決めた50分の番組を制作しています。
 「プラネタリウムの話はどうやって考えるの?」とよく聞かれるのですが、実は台本はないんです。全てアドリブです。星空は毎日変わるので、今日見えていても、明日は見えないなどがあるので…惑星なども、ですから台本があるとやりにくいんです。プラネタリウムを観てその場でまとめながら話すことにしています。

 また『ほしをつかまえたおうじ』などファンタジックな絵本を題材にした企画もしています。もちろん科学センターですから、アカデミックなものもしっかりとやっています。例えば、富田隕石が倉敷に落ちて100周年(1916年4月13日)には、その番組プログラムも自作して演りました。倉敷の方もあまりご存じないのですが、実は倉敷にも天文資産があるのです。取材して、写真を撮ったり、業者に再現CGを作ってもらったりとか…全て関わって、作り上げていきます。よく天文学の先生という言われ方もされるのですが、プラネタリウムの番組作るのでテレビ局のディレクターのような仕事だと捉えています。ライター的なこともするし、機械の修理などでは電気技師的な仕事もあります。広く薄くにはなりますがいろんな分野の知識やスキルが必要な仕事なんです。

 今までに、そういう作品をいっぱい作ってきました。50作品くらいは作ったかな。担当者は3人いるので年間3本としたら、年に1本は自分が作るようになるんです。テーマを決めて取材して、交渉して、台本書いて、プログラミングして、機械を動かすようにして…。やりがいがあって、楽しいですよ(笑)。

小 原:
なるほど、自分が考えたこと、やりたいことを全て自分自身で作り上げて行くんですね。とことんこだわれますね!他にも企画展のようなこともありますよね。


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三島:
はい。企画展としても色々なことをやります。交渉ごとが必要なことが多く、アタックしてもかなわないような企画もありますし、うまい具合に降ってきてこれは美味しいぞ!という企画もあります。2013年の、「はやぶさ」の帰還カプセルの実物を全国で巡回展示するというのはまさしくこの典型でしたね。この科学センターで4日間に渡り開催したのですが、9ヶ月前には、この日にやりましょうと決まっていたイベントです。開催までの期間が長かったこともあり、いろいろな準備をすることができたんです。プラネタリウムの番組や特別講演会、企画展、全てに時間をかけて準備できたし、断続的にやって、期待感を盛り上げるようにPRが打てました。

 実は、こういう企画展は、やりたくてもJAXAがなかなかOKしてくれないことがあるんです。普通は1ヶ月前に急に決まったりするので準備に取れる時間も少ないですし…。うちの科学センターは、結局は優先順位が後回しにされた感があるんです。後になればなるほど話題性が落ちてくるので、どこの施設もやりたがらないんですが、どうせ後になるなら本気でやろうと、9ヶ月あるなら様々な手が打てるんじゃないか、相当力入れてやろう!ということでやりました。

 他所では1万人来館者が来るかどうかだったのですが、ここの科学センターは4日間で2万5千人が来館されました。2.5倍の来館者です。想定を上回って、長蛇の列ができてしまい、お客さんにご迷惑をかけてしまいましたが…全国では2番目の入場者だったんです。一番多かったのは呉の大和ミュージアムで、この時はJAXAが持ち帰った粒子の分析結果が出た時で、マスコミにも宣伝された…タイミング的に良かったからです。当初、呉はそこまでの動員は見込めていなかったのです。

小 原:
確かに、はやぶさは盛り上がりましたね。天文学に興味がない人たちもニュースで知っていましたし、これがきっかけで興味を持つ方も増えたでしょうね。しかし、全国第2位の来館者数というのもすごいですね!

三島:
ええ、ここはすごかった。定員200名で1日9回が全部満席で!50分50分で内容を構成して作ったはやぶさの特番を演ったのですが…恐ろしい光景でした。これには東京からヘルプで女性に来てもらって、その方に投影を手伝ってもらったんですが…。2万5千人の行列の整理で、駐車場への誘導などにてが取られて、僕は、プラネタリウムのフォローに全く行くことができなかったんです。なので夕方まで彼女を見殺し状態になってしまって、おにぎりだけ差し入れて…。オートシークエンスの番組なので解説はないのですが、プラネタリウムの操作などは必要となります。まぁ元職員なので使い方はバッチリですし、全く不安はなかったのですが…当時のことは未だに残酷物語として恨み言を言われます(笑)。

 はやぶさの特別講演会も開催しまして、はやぶさだけの話で7人、探査機に関わったチームの人と入れ替わり立ち替わりで講演をやってもらっいました。連続講座で。7人に講演の依頼をかけのですが3人くらいに受けてもらえれば良いかなと思っていたら、7人全員からOKをもらえたんです。普通は、はやぶさだけで7回も講演を企画しようとは思わないでしょう…。ダメ元でアタックかけた人が全部来てくれて…はやぶさ関係のビッグネームの方々が毎月毎月きてくれたんです。講演は土曜の夜にしたのですが、県外からも宇宙ファンが泊りがけで来てくれたりと…やってて面白かったです。実はこの一連のイベントの中で一番盛り上がったのは、講演中に語られた、はやぶさの裏話なんです。

小 原:
ほう!それは…はやぶさの一連のイベントの裏話だけで、相当面白い話が聞けそうですね。全国でもこれだけ成功した科学イベントが倉敷で開催されていたなんて!倉敷市民としてはなんだか誇らしいです。倉敷の子ども達が、科学に対して今以上に興味や関心を持ってもらえると嬉しですね!

三島:
そうですね。ここは教育委員会の施設なので学校現場とも繋がっていたいと思っています。2012年に金環日食があったのですが。岡山ではギリギリ金環にならなかった地域なので、ものすごい細い輪っかしか見えませんでしたが…。一生に一度、見れるか見れないかのチャンスなので、学校の先生にこのチャンスを活用して欲しいと、情報を提供したり、観測方法や、特別授業をしに行ったりしました。金環日食を太陽を見るので、目を痛める可能性があるんです。

ですから眩しさを弱める専用の道具を使わないといけないんですが、そういう道具は日食が近づくと品薄になって手に入らないんです。下敷きでは赤外線を遮断することができず、目が焼かれてしまうのでダメ。もし下敷きを使って目がチカチカするのを我慢してやり続けると視力が悪くなります。なので安全な遮光フィルターを科学館の天文ボランティアに協力してもらいながら4万枚作って…希望する学校に全部配ったりしました。これも教育委員会の施設ゆえの役割だと思っています。まぁ…ここしばらくは太陽の観測をする天体現象はないんですが…せっかくなので、捨てずに持っておいて欲しいです、手をかけましたから(笑)。

小 原:
天体観測などのイベントはありますか?

三島:
はい、天体観望会も開催しています。月に一回〜二回。50センチの反射望遠鏡が主力の望遠鏡です。美星には1メートルのものがあります。美星を大型と言ったら、ここにあるのは中型です。美星は超大型と言えますね。一般的はここのサイズでも十分楽しめます。反射望遠鏡は屈折望遠鏡より性能をよくすることができるので、大きな望遠鏡はほとんど反射望遠鏡です。それに最近は、ビデオの撮像装置が良くなったので、撮像装置の力で鮮明にしてすることもできますから、昔に比べたら格段に楽しめるともいます。

 観望会での一番人気は月や土星です。ここしばらくは夏休みに土星が見えるので、月と土星が夏休みになると凄く混みあいます。定員はないのですが、300人くらい集まってくれます。これ以上来館されると危険な状態になるくらいです(笑)。講演会をやっても観望会やっても集まってくれるので…。

 倉敷は科学や天文学を好きになってくれた人が増えたという実感はあります。全国的には、宇宙ブームであることは確かだと思います。20年前に比べると、ここ10年くらいは新聞やテレビで宇宙の話題が多くなっています。視聴率にもつながっているのではないかと思います。宇宙兄弟という漫画がヒットしたり…JAXAに入りたいというお子さんも増えていますし。割と天文学に興味を持つのは女の子が多いんですよ。最近ではリケジョという言われ方もされていますし。天文学者になりたいという女性もここ数年増えています。また子どもさんを連れている親世代に宇宙ファンが多いんです。お母さんファンも多い。40代くらい。50代くらいの方がアポロ世代と言われていて、月面着陸を見てファンになった世代。その後はしばらく何もなかったんです。やっと最近ですね、日本で話題になった、はやぶさの地球帰還は、2010年のことですから。

小 原:
そうですね、アポロは私が子どもの時でしたね。私も天体望遠鏡をねだって買ってもらった口なんですよ。何がきっかけで興味を持ったかか覚えていませんが、望遠鏡を抱えて星空を眺めに行ったものです。

三島:
その世代の方って、割と天体望遠鏡を持っているのです。少年には惹かれるものがあるのでしょうかね。宇宙に。
 1969年のアポロ、2010年のはやぶさで感化されて宇宙ファンになった人が多いんです。天文ファンと言っても、30年前はオタク趣味の最たるものというイメージがあったんですが…。誰とも話さない、引きこもりで、夜な夜な望遠鏡を覗いているという。ところが今は天文学者も良いイメージで描かれている。親世代も子どもがこう言う趣味を持つのを良いと捉えている。昔とは違うと思います。
小 原:
そうですね。時代は変わっていますね。三島さんの仕事に対する想いというのは、どんなことでしょう。

三島:
今までも、今後も、基本的にはやることは変わらないと思いますが、心がけているのは、科学とか天文学を地域に根ざした文化にしたいと思っています。天文学者を一人でも増やすことをしたいとは考えていないのです。音楽や芸術、スポーツは、多くの方は将来いい会社に入るためにやっているのはありませんよね。でもこういうものを日常に入れていると人生が豊かになれると思うんです。自然観察や科学への趣を深めていくと良いと思います。そいう楽しみ方を多くの人に伝えたい。時々、プラネタリウムに行ったり、星の観察したり、流れ星を見に出かけてみようか、という感じで生活の中に根ざして…。

 もっと空が綺麗に、光害がなくなったらいいのにと思うこともありますが…でも岡山は、まだ星を追っかけてみることができる環境なんです。神奈川では難しい。ここで仕事をやり始めて思ったのは、都会の人は星が見えない環境なので、星が見えるという雰囲気を味わいたい人がプラネタリウムに来るんです。しかし岡山だと、星座を探せるようになりたいとか、具体的な目的意識を持っている人が来ることが多いんです。岡山は、それだけ星を見る環境には恵まれています。

 星空を見るのは視線、なので条件が良いとき、悪いときで見え方にばらつきがあります。現代人は星空を見上げる時間が少なくなったと言われていますが、見えているのに気がついていないということもあります。普通は空気が霞んでいますが、時々くっきりと空気が澄んで見えるときがあります。そんなときには天の川がうっすらと見えるんです。透明度が高いときは見える。そういうのは普段から意識しないと気がつかないんですね。というか、実際に見上げて見る人はいないんです、ちょっと残念ですが。

小 原:
確かに、意識しないとなかなか夜空は見上げないですね。流星群とか、話題になったときくらいですかね、意識するのは。

三島:
それでも眺めようと思う人がいるのは嬉しいことです。忙しい、普段の生活の中で、夜、ちょっと時間を割いて、星を眺める。そういう時間も良いと思うんです。
小 原:
流れ星は普段から見ることができるんですか?流星群とかでなくても。

三島:
そうですね。流れ星自体は朝方たくさん見れる傾向があります。実際には流れ星かどうかわからないものはいっぱいあるんです。人工衛星など。一般の人からこういうものが見えたけど、あれは何?とか。僕としては人工衛星の可能性も探って、そう回答をするのですが、天体現象でも人工衛星でもないというものは結構たくさんあるんです。人工衛星も2万個くらい回っていますから、軌道のリストを計算しながら見ても把握しきれないんです。

1975年11月に岡山上空に大規模な火球が出現した記録があるんです。夕方の7時くらい出現したのですが、みんなが起きて活動している時間帯に明るい流星などがあると多くの人に目撃されます。さらにこういうものは「爆鳴火球(ばくめいかきゅう)」といわれるもので、ものすごい大きな音がするんです。当時、これを目撃した人から、水島コンビナートが大爆発したとか、ものすごい問い合わせがあったらしいです。以前に、山陽放送のラジオに出演させていただいた時に、ペルセウス流星群の話題でこの話を出したんですが。当時のことを体験している人が多くいらっしゃって、言いたくてしょうがないんでしょう、ものすごい反響があったんです。ファックスで。家のなかで大きな音を聞いたとか。かなりイパクトがあった。結局、隕石で重さ1トン級かもしれないと、国立科学館が瀬戸内海も調べるなど本腰を入れて調査が行われたようです。多度津沖、高見島の2キロ沖合に落ちたのではないかと言われています。でも見つかっていないんです。僕は、こういう地元がらみの天体現象を広めていきたいという思いもあります。

 宇宙はどんなに頑張ってみても行けない場所、手が届かない場所です。でも望遠鏡を使って観測すると天体の振る舞いや星の振る舞いが見えて来ます。変化してないようで変化している、そういうのは手が届かないところに手が届いたというような不思議な実感があるんです。そこが天文学の魅力だと思っています。
 宇宙の果てについて考えるというのは…宇宙物理学の最たるところは、そちらの方面の学者は知力を総動員で考えています。僕らはそれについていくのは結構大変。本を読んだり、論文を見ることもありますが、難しいですね。でも面白い。少し前にも、重力波の話題で盛り上がったんです、ついに検出!と言って。宇宙誕生の瞬間は光や電波は観測できないので、宇宙誕生の瞬間を伝えてくれるのは重力波しかないと言われているのですが、それが観測できた!。宇宙誕生の瞬間、謎の末端に手がかかった。これが重力波の検出が話題になった理由。重力波では長さを測っているんです。空間の歪みなのですが、その歪みは水素原子一個分。光は秒速30メートルは変わらないので、光を使えば空間の伸び縮みは観測できるという原理です。難しいですよね。でもこういうことを噛み砕いて、科学の面白さを伝えていきたいんです。

小 原:
う〜ん難しい!そこは専門家に任せて、私は三島さんが噛み砕いてくれた情報を楽しみたいです(笑)。

三島:
それはまさしく、僕の思いの部分です。僕は、物を教えるというよりも感覚としては、僕の仕事は、刺激を与えることだと思っています。そのテーマが科学ということなんです。人に刺激を与えるのが上手なるには、自分が刺激をうけるのが上手にならなくては…と思っています。なのでジャンルを問わず、何か面白いと感じたら、前向きに飛び込んでみるというのは僕の行動基準の一つです。


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小 原:
そこの感覚は、私も近いです。ぜひ、また色々と刺激をください(笑)。今日は素晴らしいお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

三島:
こちらこそ、色々とお話させていただき、ありがとうございました。

倉敷科学センター
〒712-8046 岡山県倉敷市福田町古新田940
TEL.086-454-0300 FAX 086-454-0304