津曲信人、遠山義雄
ストーン探訪3Tの会(津曲:熊山遺跡群調査研究会理事)、(遠山:吉備路ボランティア観光ガイド)
音声
■サポート(提供)
小原整骨院(倉敷市連島中央2-3-22)、こはら鍼灸整骨院(倉敷市平田615)、cocoro from 小原整骨院(岡山市南区下中野1407-6)、古閑俊行話し方スクール、株式会社パッション、株式会社アンスリール、オーセンティック合同会社、公益社団法人倉敷市シルバー人材センター
■挿入曲
オープニング曲:Jump / Van Halen
エンディング曲:Stand by me / Ben E. King
BGM:Happy Island / 押尾コータロー
■ゲストによるリクエスト曲
I’m on Stage / Jang Hogyo
第34回目のゲストは、石碑に魅せられた3人による郷土史研究グループ「ストーン探訪3Tの会」をお招きし、石碑研究への情熱について語り合って頂きました。
「ストーン探訪3Tの会」について。 3年前にそれぞれの地域で活動するストーン(石・岩)の魅力にとりつかれた、気の合う仲間で“友の会”を発足したことがキッカケできた石碑研究のグループ。 津曲さんは古代史からのアプローチによる歴史研究。
遠山さんは宗教民俗学というアプローチによる歴史研究をされていて、そこに現地交渉人として高森さんが加わる形でグループができた。歴史的事実一つを取っても、それぞれの視点の違いから面白い解釈ができる。それがお互いに刺激になるし、また研究の幅が広がるきっかけにもなっている。
シュメール文字の発見?について 今年の6月、吉備中央町で古代シュメールの石碑(ストーン)が眠っている。ということを30年前の町史から見つけた。これは面白い!ということで、現地に入り、探すこと1ヶ月。ついに発見。果たしてこれがシュメールか、それとも古代ストーンヘンジか? 現在、見識者を交え解明に努めている。 こういった石碑は周辺にも同じようなものがあることが多い。そこで周辺を調査した結果、和田地区の青木山に巨石群を発見。古代の祭祀遺跡ではないかと関連性を調査している。
シュメールが日本に来た? 熊山遺跡にもシュメール文字らしきものがある。日本にシュメール人がきたという言い伝えはないが、来ているのではないかと推察している。 世界の歴史を見ると、製鉄、稲作、石を削る、灌漑の技術を持った人たちが土着の民族よりも上に立ち、みかじめ料などをとっていた。
その民族が使っているのがシュメール文字。 ハンブラビ法典(楔形文字)、ヒエログリフ、エジプト文明はメソポタミア文明のかなり後。シュメール人は初期のメソポタミア文明を作った人。そのシュメール人が姿を消す。侵略されバラバラに散っていった。サウジアラビアの人種から北に押し上げられて逃げていって、散り散りになった。シルクロードの北と南にバラバラになった。その時に日本にも来ているのではないか?と考えている。
シュメール人が来たのは日本では縄文時代の終わりくらい。日本人とシュメール人が交わり、そこで日本人の宗教観の中で磐を拝んでいたところに、シュメール人が文字を書いたのではないかというのが推論。 日本人が持つ宗教観「自然宗教」について 文化宗教は教祖がいて教理があり教団があるのが文化宗教。日本人は自然宗教の形が残っている、その中に後から仏教や神道が入ってきている。日本人にだけ、こういう自然宗教が残っている。八百万の神。
イギリスのストーンヘンジも天文学ではなく、自然宗教。フランス「カルナックの石列」これも磐座の石。ヨーロッパは石の文化、石は加工するものという意識がある。日本は石の文化ではなく、石を崇拝する慣習を持っている。