かとう ゆうこ
Mama Academy主宰 プロママコンサルタント
音声
■サポート(提供)
小原整骨院(倉敷市連島中央2-3-22)、こはら鍼灸整骨院(倉敷市平田615)、cocoro from 小原整骨院(岡山市南区下中野1407-6)、古閑俊行話し方スクール、株式会社パッション、株式会社アンスリール、オーセンティック合同会社、公益社団法人倉敷市シルバー人材センター
■挿入曲
オープニング曲:Jump / Van Halen
エンディング曲:Stand by me / Ben E. King
BGM:Happy Island / 押尾コータロー
■ゲストによるリクエスト曲
栄光の架橋 / ゆず
第55回目のゲストは、プロママコンサルタントとして「Mama Academy(親子教室)」を主催し、親と子がワクワクする時間を提供しながら、子育てママさんを応援する、かとうゆうこさんをゲストにお迎えし、子育て、幼児教育に対する思いをお伺いしました。
ゲストへの10の質問
Q10.最近やった一番恥ずかしいことは何ですか 結構色々ある。財布忘れて駐車場から出れなくなって友達にお金借りた。休みと仕事でバックを分けているとだいたい月曜日に忘れる。月3回ぐらい。
前半:華々しく活躍していたキャリアウーマンから、一転、産後鬱で引きこもりに…そして講師へ
ノートルダム女子大学卒業。グランビア就職。店舗の責任者の次の役職に。サービス向上委員会に立ち上がってそれに入った。ホテル全体として各部署から代表が選ばれる中に入った。
その後、ダスキンがしている介護保険を使わない介護の自費サービスのオフィスをマネージャーとして立ち上げた。介護保険だけではまかないきれないので、自費が必要。夜の見守り、入院時の見守り、ヘルパーでは足りない時間を賄ったりするサービス。
全国1位になった。表彰されてアメリカ本社に招待されていった。その後結婚して、二人目の育休中に退職し、その後、幼児教室に転職した。 一人目を生んで産後鬱になった。華々しく活動していたので、鬱になって引きこもりになった。そのときに助産院でサポートしてもらって、助けられた。育児書を捨てなさいと言われて。それで救われた。
この経験がキッカケで、私のように悩みながら育児しているお母さんをサポートしたいと思った。二人目の育休中に幼児教室を見つけて。ここの講師になろうと決めた。200人くらい先生になりたい人がいたが、その中で合格したのは4人だけ。そのうちの一人になった(5%)。それで講師になった。育休明けと同時に幼児教育に移行した。そこで5年ほど働いた。
後半:立ち上がったママアカデミー、幼児期のお母さんと子供の関係づくりの大切さを伝えていきたい
2017年9月末退職しフリーになり、フランチャイズ教室を開校するためのスクールに通った。2018年3月に立ち上げたが8月に畳んだ。フランチャイズでは私が思うような教室が作れないことがわかった。自由に思うように動きたいと考えていたし、一番は生徒さんに良いものを与えたいという思いがあった。
制約が多く身動き取れないのでやめる決断をした。生徒さんには迷惑をかけてしまった。良い教室だったが…。 その後も教室の立ち上げを模索していた。5年10年先になると思っていたら、ママアカデミーの構想が急に動き出した。8月にフランチャイズをやめて年末くらいまで迷走していた時に、あるコンサルタントに出会い、コンテンツを一緒に作ることになった。急に変わってきた。やりたかったことに向かえるようになった。一番したかったこと何かなと向き合える時期ではあったが、それで心が定まり、いろんな人から声がかかるようになって、ご縁が繋がりだした。いろいろやりたかったが、やっぱりやりたかったことはこれだとわかった。
0歳からこれる教室なので、脳力の土台ができた頃にいろいろな知識を入れることができる。昔おばあちゃんに聞いたなと思うことが今も通用する。日本人はわかってやっていた。日本は子育てをいろんな世代でしているのでイメージがついている。今は核家族で知らない。昔は大家族なのでいろんな世代が関わって、その中で育っているので自然に体の中に入っている。異年齢のふれあいは良い。上の子には役割を与えたあげると頑張る。大人とちょっと上のお兄ちゃんお姉ちゃんの存在は大きい。年齢と月齢で成長の幅は違うので分ける部分も必要だが、一緒に学ばせることも大切。