jang Hogyo(ジャン・ホギョ)
K-POPアーティスト
音声
■サポート(提供)
小原整骨院(倉敷市連島中央2-3-22)、こはら鍼灸整骨院(倉敷市平田615)、cocoro from 小原整骨院(岡山市南区下中野1407-6)、古閑俊行話し方スクール、株式会社パッション、株式会社アンスリール、オーセンティック合同会社、公益社団法人倉敷市シルバー人材センター
■挿入曲
オープニング曲:Jump / Van Halen
エンディング曲:Stand by me / Ben E. King
BGM:Happy Island / 押尾コータロー
■ゲストによるリクエスト曲
I’m on Stage / Jang Hogyo
第35回目のゲストは、地元岡山を拠点に東京・大阪でも精力的にライブ活動を行うソウル出身のK-POPアーティスト、ジャン・ホギョさんをお招きし、歌とダンスへの情熱について語り合って頂きました。
小学校4年生の時、友達に誘われたのがキッカケでダンスを始めた。ある時、踊っていたら拍手をもらった。それがとても気持ちよく、そこからずっと続けている。
本格的にやり始めたのは中学3年の時に5人でチームを組んでから。高校はバラバラだったが、週末に集まり練習していた。このメンバーとは高校3年の時までやっていた。卒業して解散したが、それまでの間に、大会で優勝するなどみんな本気でやっていました。 ネットの動画て独学で練習した。振り付けも自分たちで作って大会に出た。毎日学校が終わったら集まって練習していた。ビルの窓に映る姿を見ながら、カセットテープを流して…夜中まで1時、2時まで。お腹が減ったら、コンビニでラーメン買ってきて食べながら。みんなダンスが好きだった。
それから大会へも出場するようになり、最初は準優勝だったが、出場するごとに、準優勝から優勝へと…ソウルの中でも大きな大会で優勝したりした。でもこの時も、将来どうしようとは思っておらず、ただ好きでやっていた。今の子供達は将来ダンサーになりたいと目標を持って頑張っている子が多い。その子たちを見るとすごいと思う。自分たちの時はそんな将来のことなんて考えもしなかったから。
ダンスチームが20歳で解散になり、歌手のオーディションを受けたが、うまくいかず、大学に入った。入学後1週間で辞めた。お母さんは涙した。入学した時は母はすごく喜んだのに。でも母に感謝しているのは、したいことがあるの?って聞いてくれて、それをやらせてくれたこと。「まず、世の中を色々経験したい。」と、いろんな仕事やバイトをした。コンビニ、ウエイター、パチンコ屋、肉体労働。でもやりたいことは見つからなかった。色々やったが…その後、徴兵に行くことになった。23歳の時。
1年経って当時日本に留学していた友達に、東京で韓国ブームがすごいので、きたらと誘われ東京に来た。2012年。新大久保へ。震災の次の年。新大久保も人が少なくなっていた。東京から人が離れブームも過ぎていた。もう遅いと言われた。逆に人が少ないから注目度が上がったりはした。
東京で2年活動して岡山に来た。東京での活動は、今、岡山での活動と比べるとうまくはいかなかった。当時は東京にいればなんとかなると思っていた。新大久保は韓流が流行っている街だったので。でも、うまくいかなかった経験が今の自分に繋がっている。岡山に来た時は正直、音楽活動をやめようと思った。まずは生活をどうしようかという心配があった。
でも音楽を一旦活動を辞めてしまうと、気持ちが遠くなる不安があり、やり続けた。倉敷で年4回やり続けた。東京でk-popダンスを教えていたので、こちらに来ても週一回教えに行った。新しいインストラクターやレッスンを入れ替える時期を狙ってフィットネスクラブに営業して回った。岡山の方は僕のレッスンを通じてk-popを知ったという人が多い。僕のファンもそう。レッスンで知り合い僕のライブに来る方が出てきた。フィットネスの仕事もすごく大事。