片山 千永子
Photo Oneness(フォトグラファー)
音声
■サポート(提供)
小原整骨院(倉敷市連島中央2-3-22)、こはら鍼灸整骨院(倉敷市平田615)、cocoro from 小原整骨院(岡山市南区下中野1407-6)、古閑俊行話し方スクール、株式会社パッション、株式会社アンスリール、オーセンティック合同会社、公益社団法人倉敷市シルバー人材センター
■挿入曲
彼方の光 / libera
第80回目のゲストは、地元岡山・倉敷を中心に、ウェディングをはじめ各種記念日の人物撮影や、Web・パンフレット・アーティストの宣材も撮影するフリーカメラマンとして、また、医療系情報誌の契約フォトグラファーとして全国の医療・介護施設を訪れルポ撮影を行っている、Chiekoさんこと片山千永子をさんをゲストにお迎えし、写真に対する熱い思いをお伺いしました。
前半:写真を始めたキッカケ
32歳くらいの時から写真の仕事を始めた。それまでは趣味だった。27歳の時に趣味として始めた。写真を撮り始めたのは、おじいちゃんの形見のカメラ、ニコンF2フォトニック。
母のカメラは、自分の写真で持っている。当時写真教室で習った。 福山のラボでの仕事をアルバイトでやっていた。35歳くらいまで。従兄弟が結婚するので写真を撮って欲しいと言われたのが仕事に繋がるきっかけだった。最初は和装の振り付けをするのに山口まで研修まで行かせてもらったりしていたが、カメラはなかなか持たせてもらえなかった。笠岡から先生が教えにきてくれていたので、その先生を頼って半年くらい修行に入らせてもらった。
その後、愛グループがカメラマンを募集していたので面接に行ったら、すぐきてくださいと言われてアシスタントで入り4年頑張った。そこは婚礼のスナップ撮影がメインの仕事だった。本当は型物の写真(スタジオで撮る写真)や集合写真を勉強したかった。ブローニーのカメラを扱えるようになりたい、ライティングも学びたいと思っていた。
先輩カメラマンのセッティングを目で盗もうとカメラから離れずにいた。ある時、自分がアシスタントから格上げになり、やらせてもらえることになった。会場ひとつをやらせてもらえるようになって2年間くらい任せられた。
その後、倉敷にきた。スタジオ撮影しか経験がなかったのでロケーション撮影の勉強をしたかった。貸衣装と写真をしている会社で2年半修行しフリーになった。2009年の独立まで11年かかった。
後半:写真の面白さ、コンテストでの受賞、桑田さんとの出会い
パリで大賞を取ったことがる。ディスカバーザワンアートジャパニーズ2018年秋その年の春に撮った成人式の写真で。この後に、作品という考え方が出てきた。カメラマンとして作品を撮ろうと思うようになった。
その年の2月に二十歳の記念にと、成人になる女性をモデルに使って撮影した。カメラマンの蜷川実花が結構好きで蜷川実花風の作品になった。パリに出しませんかと言ってくれたエージェントが子供の写真が良いのではと言ってきたが、子供のものがなくて成人式の写真になった。
2019年の夏に、パリで出会ったヒーリングアートの日本人女性とコラボで美観地区で写真展をした。そのコラボ展の作品を掲載をどうするか二人で考えているときに、百人一首が降りてきた。恋の歌が。それから百人一首を43首を撮り始めた。お母さんだったらどういうかなと思った瞬間に繋がった、百人一首に。
現在は撮り終え、発表するタイミングを考え中。 「かみいさん」監督の桑田さんとは5年くらい前に娘さんの成人式の撮影正月2日に児島の野崎邸で雪が降る中に撮影。その後、娘さんの卒業の袴の写真、次女の成人式、「かみいさん」のスチール撮影をした。「桃の姫伝説」もスチール撮影。3回ぐらいでアップした。今回の「石だん」はスチールなしでポスターだけの仕事だった。
「かみいさん」には出演もしていた。
片山さんへの仕事の依頼は
090-8362-5177 Oneness 片山千永子 さんまで