真田 いさく
植木屋、参政党岡山県連選対本部長
音声
■サポート(提供)
小原整骨院(倉敷市連島中央2-3-22)、こはら鍼灸整骨院(倉敷市平田615)、cocoro from 小原整骨院(岡山市南区下中野1407-6)、古閑俊行話し方スクール、株式会社パッション、株式会社アンスリール、オーセンティック合同会社、公益社団法人倉敷市シルバー人材センター
■挿入曲
Stand Out Fit In / ONE OK ROCK
第104回目のゲストは「政治家・行政は正しい情報を伝え、その上で県民が誰の目も気にすることなく、自由に選択できる社会」の実現を目指し、参政党岡山県政対策委員として活躍する、真田いさく さんをお迎えし、政治への思いやこだわりなど、熱い思いを語っていただきました。
<前半:日本史の教師を目指していた学生時代〜政治に出会ったキッカケ>
中学も高校も担任が日本史の先生で、自分も日本史が大好きだった。テストはほぼ100点だった。たまに97点とかで惜しかったと言っていた。先生が面白かった。中学の時の臼井先生。黒板が綺麗だった。書くのが。色使いも文字も、その黒板と同じようにノートをとった。見返したときにちゃんと順を追っていけるようなノートになる。そのくらい黒板が素晴らしかった。高校を卒業後、岡大に進学し地理と歴史の教員免許を取得。さらに専修免許の取得を目指そうと大学院に進学した。
大学院では一般教養がなくなるので、空いた時間で社会勉強をと思い、政治を学ぼう、70票差で負けて浪人をしていた片岡市長の門を叩いた。とりあえず事務所に来てごらんと言われて後援会事務所に行ったことがキッカケとなり、事務所のスタッフとして関わることになった。
「人間の命は政治に行き着くと思っていた。生活・命を守るのは政治だと思った。そこにいけば世の中のことが全てわかると考えた。」 総社市で百条委員会があって、竹内市長が辞められて、市長選が始まった。そこでスタッフとしてやるつもりだったが、一気に選挙モードになって面白くなってきた。一騎打ちなので本当に戦争のような感じだった。勉強どころではなくなって大学院を辞めた。そこから政治にどっぷり浸かった。
<後半:造園業を目指すも、政治に関わりたい思いが勝り…出馬までの経緯>
元々、ガーデニングや木を切るのが好きだったので、手に職をつけて自然に関わる仕事をしたいと思い、新田にある南部技術高等学校の造園科に進み、2年間勉強した。植物は面白い、例えば、紅葉は狭いところに植えたら葉が上を向く。木は空間把握の能力がある。狭いところに木を植えたらお互いを意識して迷惑にならないように上を向く。そんな植物の生態に興味を感じていた。
エクステリアの技能検定で県知事章も取れ、造園会社に就職が決まっていたが、すでに党員になっていた参政党の2023年1月8日の倉敷駅の街頭演説を聞きに行った時に心に火がつき、「お手伝いでいないか」と話を持ち掛けていた。その当時、参政党からの候補者がいなかった。
生活の中で感じている疑問や思いを政治に届けたいと気持ちが高まった。コロナやワクチンに関する思い、学力偏重の教育にある問題を語っていたら、「挑戦しない?、その思いがあるなら挑戦する価値があると思う」と言われ出馬に踏み切った。