イシグリ イチ
Luthier atelier 美容師
音声
■サポート(提供)
小原整骨院(倉敷市連島中央2-3-22)、株式会社パッション、株式会社アンスリール、オーセンティック合同会社、一般社団法人岡山アスレーテスクラブ、九九華聯 99ファーレン 倉敷、株式会社Peace
■挿入曲
イングリッシュマン イン ニューヨーク / スティング
第112回目のゲストは、縁もゆかりも無い倉敷へ移住し、美観地区の外れで美容室Luthier atelier(ルシアーアトリエ)を経営するイシグリ イチさんをお招きし、美容への想いや、倉敷の魅力についてお伺いしたいと思います。
<前半:美容との出会い>
高校1年の時に美容師になりたくなった。それまではシステムエンジニアになりたかったので、SEを目指せる高校に進学した。当時「チョキチョキ」という雑誌をみて美容師に憧れるようになった、原宿の美容師でかっこいい髪を作る仕事をしたかった。原宿でしたかった。 高校を出て新潟の専門学校に入り美容を学んだ。コンテストや国家試験で大変だったが、全国大会で賞をと取った。頑張った。しかし、東京の美容学生は対策もできていて強い。やはり洗練されていると感じた。挫折とまではいかないがレベルの違いを感じた。全国の美容学生が集まり、毎年、東京で開催される「美容学生連盟大会」。
専門学校へは2年行き、卒業後の20歳〜25歳までは地元の美容室に勤めた。美容学校卒業してすぐに上京したかったが、親に反対されたので、準備期間が必要だった。新潟にいる時から高速バスで就活のために東京へ行き来していた。上京前にはすでに働き先を決めていた。お店を3ヶ月後に退社しますということで、円満に退社したが、実家からは強行突破だった。母には「東京に行くと体壊すだけだから」といって引き止められた。心配だったのだろう。
東京では衝撃なことがいっぱいあった。ドンキホーテで掃除用具を買おうとしたら、男子トイレの小便器にここでうんちしないでくださいという張り紙を見た。すごいところに来たと感じた。芸能人にいっぱい会えた、ケンコバとザコシ師匠が餃子食べていたり、お店にも芸人とかが来ていた。
<後半:シドニーへの赴任、帰国後、縁のゆかりもない倉敷へ移住>
シドニーへは1年の予定で、青山にあるサロンの姉妹店みたいな感じで繋がりがあるところに入るためにシドニーに行った。1年くらいで原宿に戻るつもりだったが、パンデミックで、向こうに残って仕事していた。2年半いた。一昨年の1月に帰国した。
シドニーから帰る時は東京に戻ってくるつもりだったが、都会でビジネスをやるのも震災とかパンデミックとか、不安な要素もあったので、もっと特色のある、金沢や京都など、小京都みたいなおしゃれな、情緒ある街でビジネスがでいないかという思いがあった。倉敷に来たのは、道に名前をつけたいという目標があったから。「通り名」を浸透させたいという思い。キャットストリートとか。倉敷は災害もないし、美観地区にこだわって移住したが、美観地区のハズレで何とか通りというのが浸透して、「あそこの通りおしゃれだよね」と自分が死んだ後も語り継がれていたら楽しいかなと思って、地方でやろうと思った。
シドニーは都会、都会は似たような街が雰囲気に感じになる。だが、歴史のある街はそれだけではないものがある。 「とんちゃん通り」原宿の通り、イッセーミヤケとかが飲んでいたお店があるとおり、とんちゃんは閉店したが、いまでもわかる人がいる。通りに名前が残るくらいのことをやりたい。名称でランドマークができてそれが残っていたら面白いと感じた。 ちなみに、倉敷は、西側の人っぽい。はっきりとものをいう。方言にもびっくりした。
<PR・夢>今後の目標など
現在企画中のポップアップショップ(期間限定のお店)はアメリカやヨーロッパのビンテ0時ものの古着の販売を7月末までする予定。 また8月4日には1周年記念イベントとして「スピークイージー」という禁酒法時代の文化を模してイベントを行う予定。