2020.09.17 第69回 荒木 博司

アーティスト

荒木 博司

ギタリスト

音声

■サポート(提供)

小原整骨院(倉敷市連島中央2-3-22)、こはら鍼灸整骨院(倉敷市平田615)、cocoro from 小原整骨院(岡山市南区下中野1407-6)、古閑俊行話し方スクール、株式会社パッション、株式会社アンスリール、オーセンティック合同会社、公益社団法人倉敷市シルバー人材センター

■挿入曲

オープニング曲:Jump / Van Halen
エンディング曲:Stand by me / Ben E. King
BGM:Happy Island / 押尾コータロー
■ゲストによるリクエスト曲
グリーングラス / 荒木博司 

第69回目のゲストは、故郷、岡山を拠点にコンサート、ライブ、作曲、レコーディング等の音楽活動を行なっているギタリストの荒木博司さんをお招きし、ギターや音楽に対する熱い思いをお伺いしました。

ゲストへ10の質問

小さいころは何になりたかったですか

昆虫博士。昆虫が大好きだった。全般的に。セミが好きだった。蛾とかは嫌い。触っても大丈夫なものは好き。クマゼミが好き。子供頃はクマゼミは高嶺の花で、低い木にはいなかったので取れなかった。今はウジャウジャいる。とりやすい。小学校までは昆虫博士を目指していた。

前半:ギターを弾くようになった経緯

 小6から中学の時、音楽が好きになった。ポップスやベンチャーズ、ロック、グループ・サウンズ。ベンチャーズを聞いてエレキが好きになってビートルズなども聞いていた。
ギターを弾きたいと思ったのは「スターダスト」という曲。シャボン玉ホリデーという番組(ザピーナッツやクレイジーキャッツが出ていた洋楽を紹介する番組)のエンディングがスターダスト。その音色が好きでギターをしたいと思った。ロスインディオスタバハラスという3人グループの演奏。そこからベンチャーズ、ビートルズという順番、高校に入って吉田拓郎などを聴くようになった。
 バンドを組んで学園祭に出た。ギターがうまかったのでモテた。学園祭ではかぐや姫や拓郎をやった。オリジナルもやった。高2年から高3の文化祭はモテてモテ。
  高校を出て東京に行き、岸田敏志さんの仕事をしていた。大学3年の時に「君の朝」がヒットして、ギターで加わった。それから今まで付き合いが続いている。
 1979年、この時がプロのギタリストとして最初の頃の仕事。高校を出てプロ活動を始めた。フリーで活動していた。認められたら仕事が来るようになった。上手い人間はいっぱいいるが、音が気に入ってもらったのだと思う。スタジオミュージシャン。譜面を見て欲しい音を想像してプレイする。慣れると求められているものがわかってくる。引き出しがいっぱいあるので、ロック、ジャズ、ラテンでもなんでもインプットされているのでできる。それができないとスタジオミュージシャンになれない。即興でできないといけない。限られた時間の間に曲を完成させないといけない。良いプレイしても三時間もかかっていたらダメ、すぐ出せるようにならないと。

後半:岡山に帰ってから最近までのこと

 岸田敏志さんの仕事を始め大学3年からプロの仕事を始めた。慶應大学在学中に。
喜多郎、岡林信康(フォーク)、森山良子、来生たかお、渡鍋真知子、麻倉未稀、アイドルもいっぱいやった。菊池桃子、柏原芳恵。石川秀美、河合奈保子、今井美樹。五輪真弓。ライブのツアーバンドで弾いていた。セッションギタリストという仕事。セッションギタリストの方が色んな曲に対応できる。全てのジャンルが弾けないとセッションギタリストになれない。自分の個性を小出しにしていく。

岡山に帰ってきたら、人に合わせるギターが弾けるので便利がられて、よく声がかかる。それでいいと思っている。自分が目立つ音楽よりも性に合っている。大滝さんとか。
これからやりたいことはアルバムづくり。
気に入ったものでないと世に出せない性格なので、作品のペースが遅い。出すのが遅いが喜んでもらいたい。年内にはと言い続けて2年くらいになってしまった。嫁さんが尻を叩く役で立ちてくれるが…。
充実していたのは喜多郎のツアー。国内も海外も行っていた。東南アジアや中国、香港はよく行ったが、アメリカツアーはメンバーのビザが取れずに白紙になった。二ヶ月間の予定だったのだが。ワーキングビザが。述べ5年くらいやっていた。録音もいっぱいやった。亜細亜(CD)というライブが良い。 今後は、自分の音楽をもっと世に出して行きたい。自分の音楽の特徴は、ヒーリング効果があるというか、そういうつもりで作っていないが、作ってみるとそう言われる。激しいものも好きだが、自分が作ると癒しの音楽になる。

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